「奇跡をもう一度」
小学生の頃、毎年夏休みには父の実家に帰省していた。
新幹線に乗って遠くへ行くというイベントは私をわくわくさせたが、人見知りの私にとっては少し憂鬱でもあった。
父の兄弟は皆、祖父母の家の近所に住んでいて、いとこ達もしょっちゅう行き来していた。年に1回しか会わない私たち兄妹とは違い、実の兄弟姉妹のように育っていた。
私の兄は社交的な性格で滅多に会わないいとこ達とも気兼ねなく遊んでいたが、わたしは常にかすかな疎外感のようなものを感じていた。
それでも、親戚が集まって食事をしたり、プールに連れていってもらったり、花火をしたりと夏休みを楽しんでいた。
ある夜、みんなで近所の夏祭りに行った。
どこにでもありそうな盆踊り大会。出店が数店出ている夏祭りだ。お小遣いでりんご飴だかわたあめだか買って食べた。
みんなで祖父母の家に帰る途中、兄といとこ達が突然走り出した。一番後ろを歩いていた私は驚いて走ってついていこうとしたけど、みんなの姿は暗闇に掻き消されてしまった。
祭り会場からも少し離れ、帰り道もわからない、ひとり取り残された私は呆然として泣く事もできなかった。
遠くからかすかにお祭りの音が聞こえた気がした。音が聞こえるほうに向かって歩くと広場のようなところに出たが、先ほどの祭り会場ではなかった。
そこいたのは、尖った三角の耳に細身の身体。狐だろうか。動物園で見るようなものではなくもっと神秘的な何かに見えた。
輪の中で数匹が踊るように跳ね回っている。周りで一緒に跳ねたり、応えたりする仲間たち。とても賑やかだ。
その輪の少し離れたところ一匹でたたずんでいる狐がいた。その子と目があった気がした。すると私のいる所に来てすとんと腰を下ろした。私も隣に座る。
そのリラックスした様子から、好んで輪の外にいるのだという事を感じた。
踊りの輪に入るのではなく、少し離れたところからみんなの愉しそうな姿を見るのが好きなのだろう。
しばらく一緒に狐の祭りを楽しんでいると、さっと涼しい風が吹き抜けた。それを合図かのように狐たちは一斉に駆け出した。私の隣にいた一匹も他の狐の後を追って駆けていく。
私も来た道を戻る事にした。
すると兄といとこ達が前から走ってきた。
曲がり角で曲がって隠れていたのに、なかなか私が来ないので探しにきたらしい。
この経験によって私の性格が変わったとか、人生が一変したとかそんなことは全くない。むしろ内向的な性格に拍車をかけたかもしれない。
あの出来事があってから疎外感を感じる事がなくなった。ひとりでいる時はあの狐が隣にいてくれるように感じていた。
「たそがれ」
毎日公園に通った。
落ち葉やどんぐりで料理を作ったり、
かくれんぼやおにごっこ、シャボン玉に砂遊び。
滑り台やブランコ、次から次へとやりたい事が出てくる。
いつもの遊び友達も、はじめてと子も一緒に遊ぶ。
けんかもあるし、けがもする。
それでも、毎日公園に通った。
「もう帰るよ」「まだ帰りたくない」
何度かの攻防のすえ、ようやく帰途に着く。
どこからか漂う夕食のにおい。
「お腹減った」「今日の晩ごはん、何?」
毎日同じやりとり。
満足そうな笑顔。
ぎゅっと握られた温かな手の感触。
永遠に続くように思われた日々も振り返ればほんの一瞬。
幸せな一瞬。
「きっと明日も」
今日は授業で発表できたから
きっと明日も発表できる
明日はもっと大きな声で発表できる
今日は逆上がりができたから
きっと明日も逆上がりができる
明日はもっと上手にできる
今日はあの子にあいさつができたから
きっと明日もあいさつができる
明日はもっと笑顔でできる
今日がいい日だったから
きっと明日もいい日になる
きっと明日はもっともっといい日
「静寂につつまれた部屋」
夜明け前、私はこの世の支配者だ。
私の命令で全てのもの達が働き出す。
温かいコーヒーを淹れるもの。
快適な室内環境を整えるもの。
朝食の準備に取り掛かるもの。
私に逆らうものは一人もいない。
やがて朝が訪れ、真の支配者がやってくる。
食事を出せ。
身支度を整えよ。
我を楽しませろ。
今日も無事に真の支配者が君臨されたことを喜ばしく思う。
「別れ際」
いつから『またね』という挨拶が祈りになったのだろう。
子どもの頃、夕暮れの公園で「また明日」と声をかけ合って別れた。必ず明日また会えると、そんなことを考えることもなく。
大人になってからの「また会おうね」は次に会う約束の言葉。一ヶ月か一年後になるかはわからないが,会えると確信していた。
『またね』と言ったまま、二度と会えない人がいる。その人数がだんだん増えていく。いつ私がその立場になるかもわからない。
せめて、心を込めて祈りたい。
『またね』『また会えますように』