『七夕』
昨日イオンモールに行った時、イベントで
短冊に願い事を書いて好きな位置に飾るというものがあった。
書かれた願い事を覗いて見たが、
色々な部分の願いが垣間見えいて、
鑑賞するだけでも面白いものだ。
覚えてる中、一部を抜粋↓
「元気な子が産まれてきますように」
「テストで100点がとれますように」
「金をくれ」
「かわいくなれますように」
健気な願い事が多いものだ。
ちょっぴりほっこりしたりもした。
私は個人的に願い事を見られるのが恥ずかしかったから
この場には書かなかった。親もいたのもあるけれど。
公の場で書けなかった代わり、
私の願い(どうしても成し遂げたいこと)
を短冊代理として、ここに記そうと思う。
「私の敬愛する方々のように、
読者に生きる希望を与える作品を作り上げる!」
『ここではないどこか』
最近私は画像検索で「𓏸𓏸core」にハマっている。
例えばよくSNSで出ている
Dreamcore、超現実主義。
現実にありそうでなさそうという絶妙な世界観。
夢の中で見たような既視感に共感が呼び起こされ、
曖昧さに包まれる感覚に
人々は魅了された。私もその1人だ。
ルーティンの1つとして寝る前に
Dreamcoreの画像を眺めながら
雰囲気に合う音楽を流す。
夜は更けて感傷に浸りやすいこのとき、
少しでも内側に秘める哀愁が和らげられるなら…
嗚呼、ここではないどこかへ迷い込んでしまいたい。
『日常』
正直言うと
私は日常というものをあまり好まない感じがする。
それでも平和は続いて欲しいと感じる、
……これは矛盾なのかな。
この言葉に何故か抵抗を感じるのは
様々なことに挑戦したいからという表れなのだろうか。
このままでいいのだろうかという表れなのだろうか。
そんなことを感じながら今日も『日常』を紡いでいる。
『あなたがいたから』
「あなた」って何が入るのだろう?
家族、友達、恋人、推し、敬愛する人、ぬいぐるみ、音楽、心なびいた作品…
まだまだ入りそうだ。キリがないくらいに。
沢山のあなたによって私が形作られている。
新しい環境に身を置くと自分の性格や雰囲気が変わっていくように。
新しい自分を引き出してくれるあなた。
あなたがいたから、、
私は鬱に打ちひしがれても息をするのをやめなかった。
あなたがいるから、
「最悪で泣く1日」を「最悪すぎて笑っちゃう1日」
に変えられちゃうんだ。
あなたに出会って、
この世界のみかたがまた1つ増えたよ
『1年前』
その頃の私は消えたくて仕方なかった。
明日のことも今日も生きていくことも
考えたくなかったくらいだ。
友達の家、15階から下を見下ろす度に
その先へ行こうとする身体を
何度も友達は止めてくれた。
それはもうがっちり四肢拘束の上に抱き寄せ、
この時
「絶対に先へは行かせない」
という意志がはっきりと映されていた。
それから1年後、
友達へ
私は時々生きる必要性を見いだせなくなったり、
苦しくなってしまう時もあるが
私はこうして生きていることに深い後悔は残してない。
あの時、私の試みようとしたことを
粘り強く止めてくれてありがとう。
真剣に止めてくれてありがとう。
私は夢や目標という希望を握り締めながら
今日も生きれています。
その機会を与えてくれたことに感謝を。