「キャンドルってどうすればいいんだ……?」
もちろん火をつけるのは分かっている。火をつけた後が問題なのだ。
テーブルの上に鎮座しているのは誕生日プレゼントでもらったキャンドル。小さなコップのような透明なガラス容器に薄いピンク色のキャンドルが収まっている。先程匂いを嗅いでみたところ甘いような匂いがした。食べ物系ではないのは確かだが何の匂いか検討もつかない。火をつけたら匂いも強くなるのだろうか。
とにもかくにも火をつけないことにははじまらないので火をつける道具を探そうとしたが、そもそも我が家に置いてありそうなものが思い付かない。両親はともに非喫煙者でライターがあるとも思えない。ではマッチはどうかと考えてみるが仏壇のない我が家には置いてないだろう。コンビニで買ってこようかとも思ったが、一度しか使わないのにわざわざ買うのもなあと思いとどまる。残りの処分にも困りそうだし、下手したら両親に未成年喫煙を疑われかねない。これはガスコンロ直で火をつけるしかないか、と思ったあたりでチャッカマンの存在を思い出した。たしか台所に置いてあったはずだ。
無事キャンドルに火が灯された。小さな火がゆらゆらとガラス容器の中で揺れている。
このあとはどうすればよいのだろう。キャンドルが燃え尽きるまで眺めていればよいのだろうか。じっとキャンドルを見つめていると、窓から西日が入ってきた。キャンドルが入ったガラス容器に反射して強く光っている。せっかくつけた火が西日に負けている。
「これはタイミングを間違えたな」
息を吹き掛けて火を消した。ガラス容器が熱くなっていてびっくりした。火をつけているので当たり前である。十数分ほど火をつけていたがキャンドルはあまり減っていなかった。使いきれる未来が見えない。キャンドルは棚の上の住人になることが確定した。
「冬になったらサンタさん研修があるからな。予定を開けておくように」
久々に顔を合わせた父は唐突にそう言った。聞き間違いだろうか。
「いまサンタさん研修って言った?」
「ああ。父親は参加必須だから今のうちに調整しておいたほうがいいぞ」
どうやら聞き間違いではなかったようだ。サンタさんとはサンタクロースのことで合っているのか。聞きたいことが山程あるがうまく整理できない。
「それって父さんも受けてたの?」
なんとか絞り出してみたものの無難な質問になってしまった。もっと他に聞くべきことがあるというのに。
「もちろん。欲しいものの聞き出し方とかうまい誤魔化し方とか色々と勉強になるぞ」
かなり実践的な内容だ。サンタとしての苦労が窺える。話を聞いてみるとサンタさん研修とやらは公共団体で開かれており、サンタさん経験者たちが悩めるサンタさん初心者達のサポートを行っているらしい。段々サンタさんがゲシュタルト崩壊してきた。
「本場のサンタクロースを呼んで講習するとかじゃないんだね」
なんとなしにそう聞いてみると父はしょっぱい顔になった。
「予算が足りないんだとさ」
考えてみれば当然ではあったが、地に足付いた世知辛い理由に同じくしょっぱい顔になってしまった。
「あっ可愛い~このポテポテ歩き可愛すぎない?あ、転んじゃった。めっちゃ巻き込んでる。転んだときの足の形が可愛すぎる……。巻き込まれた子アワアワしてる可愛い子猫同士の交通事故可愛すぎる。いや交通事故は可愛くないけど。あ~この密集地帯最高。この世のすべての可愛いが集結してない?可愛い以外の語彙が出てこない。可愛いの前に人は無力すぎる。可愛いを超えた形容詞を発明すべきじゃない?もしかして既にあったりする?目の前の可愛さを表すのに可愛いだけじゃ足りなさすぎる。この言い表しがたい気持ちを表すことばが欲しい。切実に。なんというか、このパヤパヤした毛の感じとかこう……すごく可愛い最高駄目だ可愛いしか言えない。もう別名可愛いでもいいんじゃない?学名を可愛いに変えるべきな気がしてきた。可愛いということばの8割近くは猫子猫に捧げられてきたと思うし妥当な気がする。あれ?そうなると早急に可愛いに代わる形容詞を作り出す必要があるのでは?……無理だ私の貧弱な頭じゃ産み出せそうにない学者を呼ぶ伝手もない私は無力だ……。」
「落ち着いた?」
「うん……動画ありがとうね……」
とっくに動画は再生終了していたのに律儀に待ってくれていた友人の優しさに感謝した。
「兄ちゃん!風捕まえに行こ!」
今年小学生になったばかりの弟は、いつもどおり唐突にそう言った。
「学校でね、秋見つけましょうって言われた!」
学校の宿題か何かだということは分かった。自分のときも似たようなことをやらされた記憶がある。
「それなら落ち葉とか松ぼっくりのほうがいいんじゃないか?」
「みんなそれじゃつまんないもん!」
その気持ちは分からないでもないが少し心配にもなる。
「そもそもどうやって風を捕まえるんだ?」
ドヤッと音が聞こえてきそうな顔でビニール袋を見せてきた。スーパーとかで手に入る取手のない半透明のやつだ。
「はやく行こ!」
外へ出ると西日が目に突き刺さった。夕日から目をそらすように弟のほうを見ると両手で持ったビニール袋を頭上に掲げていた。妙に凛々しく見えて少し笑ってしまった。
「兄ちゃん、風どっちから吹くかな?」
「ちょっと分かんないな。風が吹いてから向き変えればいいよ」
分かったと元気いっぱいに返事をし弟は風を待ち構えはじめた。
僕は弟を視界に入れつつ落ち葉か何かがないか探してみる。教師はいつだって例外を嫌う。自分と同じように傷つくかもしれない。落ち葉一枚で回避できるのなら探さない理由はなかった。
一陣の風が吹いた。街路樹から枯れ葉が巻き上げられ目の前に降りそそぐ。目についた赤色の紅葉を手に取った。湿っていない、調度いい状態だ。
「兄ちゃん!風捕まえたよ!」
膨らんだビニール袋を自慢げに見せてきた。風で冷えたのか鼻の辺りが少し赤くなっている。
「ついでにこれも入れておきな」
「もみじ?なんで?」
さっきの風で捕まえたと言うとすごいすごいと喜んで受け取ってくれた。
「では、また会いましょう」
名も知らぬ男とのやり取りは今月だけで既に三回目。流石に何かがおかしい。
きっかけは出先のコンビニだった。適当に見繕った昼食を会計したレジにあの男がいた。
「私も最近寝不足気味なんですよ。お医者さんにも薬を出してもらったりしてまして」
男は唐突に話し始めた。前回の続きと言わんばかりの内容だが、この男に会った覚えはない。名札を見てみると応援スタッフと記載されている。少なくともこのコンビニで会ったことはないはずだった。
返答に詰まっているうちに会計は終了し、ありがとうございましたの言葉と共にレジ袋が手渡された。
「では、また会いましょう」
付け足された言葉がやけに耳に残ったことを覚えている。 とりあえずこのコンビニは当分避けようと思ったことも。
それからというものの、度々男と顔を合わせることが増えていった。最初のうちは数ヵ月に一回だったが、今となっては一週間のうちに2~3回と増え、その度に知らない男の知らない話を聞かされている。違和感は恐怖心へと変わっていった。
もしかしてストーカーだろうか。だが良く聞くようなイタズラや物盗りの被害には遭っていない。これでは警察も頼れないだろう。
気がつけば男を避けるために自宅に引きこもるようになっていた。
ある日の昼頃、部屋のチャイムがなった。たぶん宅配便だろう。引きこもるようになってから買い出しは全てネットに頼りきりになっていた。
ドアを開けるとそこにはあの男がいた。
「隣に引っ越してきたものです」
状況が飲み込めない。寝ぼけているのだろうか。ほほの内側を噛み締めてみると確かな痛みと血の味がした。
男は挨拶ついでに話はじめた。また知らない話題だ。知らない男が知らない話をしている。それだけが異様に恐ろしい。
気がつけば話が終わっていたのか男が去るところだった。
「では、また会いましょう」
声が耳にこびりつく。ドアはとっくに閉めていたが未だに声が聞こえてくる気がしてこめかみの辺りを滅茶苦茶に掻きむしった。
男はまた、きっとやってくるのだろう。