神様が舞い降りてきて、何か言う前に殴り飛ばしたいなあと思いました。
この世でやらかす人間を叱らない、『愛してる』『見ている』だとか口当たりのいい言葉で見ないふりをする神様なんて大嫌いですから。
誰かのためになるならば、を免罪符にしない。
誰かのためになる、を私の存在理由にしない。
「誰かのために」が悪いことではないんだけど、「誰かのせいで」と紙一重になる気がしてね。どうも苦手なんです。
……コーヒーを飲みながら目の前の女は話す。喫茶店に人はまばらで、こちらを見る人はいない。
ほら、私たちが動くと人間ってすぐ有難がったり、怖がったり、すがったりするでしょう? その逆もたくさんあって。
私たちが「助けていたのに何事だ」って言うのも、なんか違う気がするのよ。そういうのばっかり見てたら、疲れちゃって。
「本当に、お疲れさまです」
いいのよ。人間なのにわざわざこうやって話聞いてくれるだけで、私たち嬉しかっんだから。
女は立ち上がり、店を出るためにドアのほうに向かった。自動で開くはずのドアは開かず、女は“通過”して外に出た。
「本当に、そうですね。『誰かのために、という自分のため』くらいでいいと思います」
コーヒーは、飲みかけのままそこに置かれていた。
『鳥かご』は不自由の象徴として描写されることが多い。でも、餌が貰えて大切にされる……それ自体は悪いことではないはずなのだ。
問題があるとするなら、『鳥かごとその所有者を鳥から選べないこと』なのかもしれない。
「友達でいようね」と言葉にして言われた瞬間、足元にぽっかりと穴が出来て、落ちていくような感覚がする。気持ちがすうっと冷めていくような、うすら寒い気持ちになる。
「どうせ明日には忘れてるし、来年には縁が切れてる可能性だってあるのに何を言っているの?」と、軽々しく言葉を扱う相手に怖くなるのだ。
無理に約束なんてしなくていい。居心地がよければ一緒にいればいいし、めんどくさくなったら別れよう。私が友達に望むのは、それだけ。
私の名前、なんだっけ。
あんまり好きじゃなかったな。
おかあさんは私の名前を呼んで怒鳴る。
学校の先輩は私の名前を呼んで嘲笑う。
好きじゃないから自分で名前を
新たに作ってそれを名乗った。
自分で作った名前を名乗ったとき、
やっと過去から自由になれた。