さみしさ、悲しみ、憂鬱以外の言葉で雨を語りたい。
雨の日のカフェ。図書室。リビング。
思えば雨というのは、室内で過ごす私たちを正当化してくれる。外の世界に関係なく、私は自分の時間がある。
安心するのは、その事実に向き合えるからでしょうか。
でも、雨の日にわざわざ外に出るのだって素敵だ。
世界に抗ってる感じがする。
傘を持ってない「大切さん」に、そっと傘を差し出して相合傘をする。青春ですね、それも。
実は一方がこっそり鞄に折り畳み傘を入れてても、二人とも長傘を持ってても素敵です。ただ近くにいたいからという理由で、お互いに少しずつ濡れることを選ぶなら
きっとその冷たさも愛せるね。
でもどうか、それだけを優しさとは呼ばないで下さい。
傘を持ってない人の隣に立って、自分の傘を閉じて一緒にびしょ濡れになって歩く。そういうあたたかさを、
私はもっと素敵だと思うよ。傘は「差し出した」時点で
相手とは平等でなくなってしまうから。
雨天中止のイベント、低気圧による酷い頭痛、つんざくような雷の音、纏わりつくような重たい湿気、水気を
吸う新しく買ったお気に入りの服。
雨を嫌いになる理由は充分過ぎるほどにあるね。
普段よりも世界が狭くて、人口密度が高くて、空間に
閉じ込められちゃうからこそ、独りだとよっぽど辛い。
このままずっと雨が降り止まなければいい。
そう思えるほど、近くにいることが心地よい相手。
そんな人に出会えるといいな。
#24 降り止まない雨
会社の人事部はお父さんを振り回している。
どうやら今年で19年目になるという海外赴任。
寂しがりやのお父さんにくっついて、私たち家族も大変国際色豊かな人生を送ってきました。
「転勤族」を自称できる程の頻度ではないとはいえ、
今までに国は3回変わった。
うちは赴任期間も次の赴任先さえも全く決まっていない
不安定な駐在さんだ。ある日いきなり3ヶ月後に海を渡ることが決定し、現地校に転入することになる。
それまでの人間関係と環境への慣れ諸共リセットされる理不尽も、生まれた時からずっと言い聞かせられてきたことだから特に不満には思わなかったな。
でもそれは何も私たちだけじゃない。海外にいる周りの日本人だって、殆どが駐在さんだった。
・・・とまぁ。そんなこんなで、
日本人学校は転出入が激しいから、人間関係はコロコロ変わった。いちいち手続きが大変ということで、制服も無い程に。日本に帰国する子、現地校に転校する子、
また他の国に引っ越す子。入れ替わり立ち替わりだ。
突然の別れに関してはエキスパートです、私。
定期的に環境が変わることを見越して行動するから、
「距離の詰め方や感覚がバグってる」とも言われるね。
エルフなんかの長命種から見ると、短命種がとっても
生き急いでいるように見えるのとおんなじなのかも。
別れの辛さに麻痺してきた自分がいる。
最初からそういうものだと理解した上での行動と思考。
いつだって別れはさびしいよね。悲しいよね。
でも、その感情を知っているからこそなんでしょうか。
相手の好きなところや、その時の自分が抱いた感情は
素直に口に出す。遊びの提案も積極的にしてしまう。唯一変わらない人間関係である「家族」との絆が深くなる。
世界の広さを知っている。物理的距離が近いことの
ありがたみを痛感している。別れはイコールすべての
終わりじゃない、なんてとっくの昔に悟った。
でもね、覚えてる。もう私と同じ時間を共有していない皆のこと。出会いと別れがどれだけ積み重なっても。
みーんな、私の「大切さん」だからさ。
ごめんね、許してね。私のこの在り方を。
いいなぁ、幼馴染とか。心底羨ましい。
別れを意識しないくらいになるまで、ずっと一緒に
居た他人がいるって、どんな感じなんだろう。
ダメだな。想像できないや。
#23 突然の別れ
だって私、未成年ですから。
よく考えたら、本当の真夜中を知らない。
夜中の23時以降も外に居たことなんてないな。
街は明るくて、影のない闇なんてとうにどこかへ行ってしまいましたね。生まれた時からずっとそうだから、
残念だとも思えない光。
それでも私、夜行性です。
なんだろうね。夜が深くなればなるほど、やりたいことがどんどん浮かんでくるんだ。
嫌だ!まだ今日を終わりたくない、って思ってる内に、いつの間にか明日の自分の前借りが始まっている。
ねむたい。なんて綺麗な日本語も言えないくらい、瞼が重くなって、あくびが止まらなくなる。そういう本能
ぜーんぶ横に押し退けて、本やスマホに齧りついた夜。
それに私、ちゃんと覚えてます。
今までの真夜中に通話した人との、色々な会話。
どれも夜更かしたことを、ちっとも後悔しないような
素敵な体験でした。
24時を過ぎたら暫く「真夜中」は続くね。
世界が夜で均一になって、時間が経過していることに
麻痺してくるんだ。だからかな、真夜中は。
いちばん、みんなの時間が奪われやすいとき。
受験生の私にとっては敵です。
健康のため、深夜とはお別れして朝型にならなければ。
ん、がんばろ。
#22 真夜中
否。
愛のためならある程度のことはできるよ。
でも、愛がなければ何もできないよ。
ただ愛があったところで、一体どうしてそれを必ず
動機にしないといけないのでしょう。
愛は万能じゃありません。絶対じゃありません。
自分の中にあるそれを、どう思ってどれだけ大切にしているか。それだけ知っていればいい。
私の愛を試さないで。
#21 愛があれば何でもできる?
ねぇ。
時間を「失う」ってどういうことだと思う?
代わりになるような言葉を挙げてみようか。
忘れた、無駄にした、手間取った、ただ過ぎ去った。
あぁ、隠喩と捉えてもいいね。
後悔の色、もう届かない夢、思い出せない記憶、
生きるはずだった未来、ミヒャエルエンデの「モモ」。
こうやって改めて考えると、やっぱり時間ってワケが
分からなくて・・・でもだからこそ、自由だ。
だって、だって、考えてもみてください。
時間は「経つ」「割く」「喰う」「使う」「潰す」
「計る」「稼ぐ」「貰う」「費やす」「切れる」
「かかる」「過ごす」「とられる」「追われる」
そういうものなんです。
これだけ多くの言葉遊びが生まれるんだから、時間を
失うことについての解釈が分かれるのも当然だね。
にしても、考えれば考えるほど不思議だ。
「私の時間」はあっても、「時間を自分のものにした」と思ったことはない。あくまで味方につけるだけで、
所有できないんだよね。じゃあつまり時間って、流れが止まらない水みたいなものなんだろうか。というのも、なんだかちょっと納得がいかない。それだと私の体感によって早さが変わることが上手く説明できない。
うぅん、うーん?と唸り始めて数十分。
なんにせよ、これはホントにいいお題だ。
またいつか考えよっと。
#20 失われた時間