私だけ。私だけが辛いのだろうか。
世界は私に厳しいように感じる。何をしても上手くいっていない。
そんなことを考えてる人は少なくないのではないだろうか。
基本そういう時は、自分で自分を苦しめている場合が多い。
「〜してくれない」という期待、「自分の過去が辛い」という過去への執着などがあると思う。
しかし、過度な期待は勝手にハードルを上げてしまい、感謝できなくなる。過去など、どうしようもないものへの執着は苦しみを生む。
こう考えてみると、自分で自分を苦しめていたりする。決して、〜してくれないあの人が悪いわけではない。過去の辛い出来事が悪いのではない。どうしようもないことをどうにかしようとしている自分が悪いのだ。
これに気づくと、生きやすい世の中になる。自分を苦しめたり、不幸にさせる必要はないのだから。誰しも幸せになって良い人間なのだから。
空を見て心に浮かんだこと。
それは、自分なんて長い歴史の中のちっぽけな1人に過ぎないということ。自分が何をしようが、長い歴史の中では大きな意味はない。
どう生きようが、この世界にとっては誤差に過ぎない。何をしようが世界にとってはどうでもいいという事。
つまり、自分が別に何しようが関係ない。つまり、いい子でいようとしても、悪さをしまくっても大差はないのだ。
だから、やりたいことをやるのがいいのではないかと思う。もちろん、周りの人や家族に迷惑をかけるかもしれないから、その辺りには気を使いながらになるが。
やりたいことと言っても、自分がどういう人間でありたいかという部分は忘れてはいけない。そこに基づき、やりたいことをやっていけば良いのだと思う。
我慢して嫌な仕事を続けなくても良い。しかし、他の人に迷惑をかけることを忘れてはいけない。常に感謝し、感謝を言葉・行動に出さなければならない。
そういう生き方は、何よりも楽しく暮らせると思うし、カッコいいと思う。
「終わりにしよう。」
そう伝えた時、君は泣いていた。
その涙を見て、自分の決意が揺らぎそうになったが、この関係を終わらせるのもお互いの為だ。
君のことは好きだけど、君と僕では幸せにはなれないのだと思った。僕たちは本当の意味では分かり合えないし、素の自分を出すこともできない。
何年付き合おうと、先を考えることのできる関係でなければ意味はないと思う。勿論、君との思い出は増えていく。
しかし、いい思い出が増えるほど離れにくくなるし、先を考えられない堕落した恋愛を続けたことは、自分自身を蝕む。
人を愛せなくなったり、価値観が狂ったり、自分に影響を及ぼす。
それは、一概に悪いことだとは言えないかもしれないが、お互いにとってプラスになるとは言えない。惰性や不安で付き合いを続けるのは得策ではないと思う。
今は辛いけど、この決断をお互いがプラスに考えることができる日が来ますように。これもきっと縁なのだ。この出会いと別れは、お互いにとって必要だったのだ。
また会う日まで、さようなら。
あの日、君と手を取り合って、共に人生を過ごしていきたいと思った。
そう思った気持ちを、自ら呪いにしてしまった。
それを妨げることを思わないようにして、自らの気持ちに嘘をついてしまうようになった。
自分の気持ちに嘘をつく必要なんかないのに。
いつからこんなに辛くなってしまったんだろうか。
優越感や劣等感、それに縛られると生きづらくなる。
誰よりは優れてるけど、誰よりは劣ってるというものを考え始めれば、勝手に他人と比較して、勝手に自分で苦しむことになる。
人それぞれ別の人生を生きている。本来そこに優劣はないはずだ。人それぞれ選んだ自分の人生だから。
しかし何故か、勝手に他人と比べ、自分よりも下を見て優越感に浸る人は少なくない。優越感を感じている時は心は安定するが、劣等感を感じる時は心は不安定になる。
そして、優越感を感じる場所に安心を覚える。
これが非常に良くない。自ら成長する気持ちもなくなり、優越感を感じる場所にとどまってしまう。劣等感を感じることを恐れ、新たなことを始めることができなくなる。
そういう人には心にとどめておいてほしいのだが、人と比べるところに本当の幸せはない。他人軸で生きるというのは、本当の自分の望みを一切無視しているものだからだ。
自分を満たしてこそ幸せはあるのだから、自分と向き合うことこそ必要なのだ。