これまでずっと、周りの人に認められるように、望まれる人間にならなければと必死にもがいてきた。
周りの人からは優しいとか、良い人とか言われるが、本当にそれで良いのだろうか。自分は何をしたいのだろうか。やりたいことをして良いのだろうか。
そんな自問自答を繰り返すながら、答えなんてないのに、答えを探し求めてきた。
けど、もっと楽に生きてて良いんだよな。周りの人なんて、僕のことを本当に分かるわけでもなければ、僕のことを本気で思っているわけでもない。
これで良いんだよな、楽に生きていけば。
一件のLINEに一喜一憂していたあの時。
あの感覚は、恋をしている時にしか感じられないだろう。
あの感覚はとても楽しいが、同時に大変なものでもある。
一件のLINEに喜び、どう返信しようかと悩む。特に悩む必要もないのに、無駄に時間を使って考える。
あの気持ちはとても美しい。あんな気持ちで恋愛できることも、大人になってからはなくなってしまった。
これがいいのか悪いのか分からないが、一つの感情を失ってしまったような感覚になる。
こんな風に変化しながら大人になっていくのだろうが、これはいい変化なのだろうか?よく分からないけど、人生って難しい。
目が覚めると、まだ空は暗く、夜の静寂に包まれていた。
時計を見ると、午前4時。7時に起きるつもりが、随分と早く起きてしまった。
ここのところ寝れない日が続いている。
ストレスが溜まっているのか、携帯の見過ぎか。
ここ最近忙しい日が続いている。残業続きで、なかなか趣味にかける時間もない。仕事の疲れで、趣味を楽しむ気にもならない。
ここまでして働いて何になるのだろうか。金は貯まるが、心は貧しい。心が貧しくなれば、財布は豊かになっても、豊かには感じない。
心を第一にして生きていきたいのだが、なかなかそうもいかないみたいだ。
「当たり前」
それは人によって大きく異なる。
当たり前にできる人もいれば、そうではない人もいる。
人は、自分が当たり前にできることは簡単だと思うらしい。
しかし、どうやらそれは簡単なのではなく、自分が得意なことらしい。
これを当たり前と捉えるか、得意と捉えるかで全然違う。
当たり前と捉えれば、人にも当たり前に求めてしまう。
「できて当然」、「なぜこんなこともできないのか」と。
得意と捉えれば、人のミスを許すことができる。
「そこはこうすればいいよ」、「そこ難しいよな」と。
当たり前と得意は似ているようでかなり異なる。
自分自身が得意と捉えることで、他の人に苛立つことも減るのではないだろうか。
また、得意と捉えれば、自分を少し誇らしく思える。
自分に優しくできるし、人にも優しくできる。自分へ厳しくすることは、必ずしも良い結果を生むとは限らない。
そんな些細な違いも大切にしていきたい。
夜、君と同じご飯を食べ、夜の街をドライブをする。
街は昼とは違う顔をしている。
昼は人で賑わう通りも、夜には街灯の怪しげな灯りに照らされ、異様な雰囲気を放っている。
近くの展望台に車で向かう。
そこから見る街の明かりは美しい。ビル街は夜でも電気がついていて、綺麗な夜景を見せてくれる。
この街の明かりは、夜も働いている人たちのおかげで成り立っている。定時で帰る人ばかりなら、ここまで綺麗にはなっていないだろう。
美しく見えるこの街も、実際は長時間労働で成り立っている。美しく見えるものも、美しいだけではないようだ。