星明かり
星明かりだって綺麗に見えない月曜日。毎日しんどいけどなんだかんだ楽しいし、とくに憂鬱という事柄もないけれどため息が口をついて出た。同じような日々の繰り返しで私は何のために生きてるのか、なんて柄にもなく哲学的なことを考えてしまう。SNSをただの義務のようにぼんやりと眺めておすすめの欄にもふわふわした頭で目を通す。一瞬のことだった。忙しなく動かす手を止め、ふいにその人物に釘付けになる。コメントを見たり、その人のプロフィール欄に飛んでみたり、よくわからないから検索してみたり。その日からその人中心の生活が始まった。まだ好きとかではないと変に強がってみても頭の中はその人のことでいっぱいだ。そう。推しとは暗闇の中にふと気づいた、月にも見紛う煌々とした星明かりなのである。
物語の始まり
きっとその物語の始まりはあまりにも普通で、わかりやすくオープニングソングを流したり主要人物の名前の紹介なんていう親切なものはなくて、淡々と始まっていて、始まったことに気づいたと思ったらすでにCMに入っているような焦ったい作品。そんな物語を終わらせたくなくて何度も繰り返して見ていたくてずるずると先に進めないようなもの。先に進んでしまったら彼がいないことに気づいてしまうから。未来なんて見たくなくて、楽しかった過去を懐古していればいつまでもそれだけで楽しめるから。怖くて怖くて先に進めない。いつかは先に進もうと思う日が来るまで再生ボタンは触らない。
静かな情熱
これだけは誰にも負けない。でもそれを声を大にして言う気はさらさらない。この静かな情熱は自分の中にあるだけで良い。静かだからって存在していない訳ではないから。いつも静かに私の心の大部分を占めていてひっそりと燃えているだけで良い。火事だと大事になってその火が燃やされないようにひっそりと。そしたらいつか取り返しのつかないくらい大きな輪に広がって私の心をそれだけで燃やし尽くす。それをずっと待ち望んでいる。
遠くの声
遠くの声が私の耳を掠めた頃、突然降ってきたボールが弧を描いて私の視界を黄色で埋め尽くした。ドッヂボールなら完全に顔面セーフと判定されるようなクリティカルヒット。ただ一つの救いはドッヂボールやバレーボールよりやややわらかめの素材だったことだろうか。すぐに謝りに来た上級生の男子になんともないように笑顔を作ってその場を去り、トイレへ駆け込んだ。鼻血はでていないようで少しだけ鼻の先が赤くなっていることくらいは普通の顔だった。小学校低学年にしては衝撃的な出来事に対する対応が大人すぎて自分でもびっくりだ。当時の母の日記に担任から電話で伝えられたそのことが詳細に書いてあってそういえばそんなこともあったなと思い出した。母は「もっと泣いても良かったのに。大人すぎて怖い」とコメントしていたが全く同感だ。幼少期からこんなのだから今でも無理に大人ぶって変なことをしでかすのだろう。少し改めようと思った。