『お気に入り』
指名料600円は高いよな、、、
二か月に一回ペース通う美容室には、お気に入りの美容師がいる。
カバのような愛らしい見た目で、バケットハットを被り、ブカブカのシャツにダボダボのカーゴパンツを履いている。こだわりなのかいつも格好に変わりが感じられない。彼はのんびり穏やかに喋り、おそらく同年代くらいだろう。この愛らしいカバさんにカットしてもらえれば、安心だ。妥当な出来上がりだが、担当になればいつも俺に合った最善の髪型にしてくれる。妻や娘からは「なんか普通だね」と言われてしまうのだが。
しかし、その日は違った。担当するのは、話ばかりに夢中で直ぐに手元がおろそかになる、言葉も見た目もチャラチャラした若い男性の美容師だった。
カット後、鏡を見て絶句する。若い美容師いわく、攻めたツーブロックらしい。いや、サイドが浮き上がり過ぎて、まとまりが悪い。帰宅後、情け容赦ない妻と娘に大爆笑され、その日からしばらく二人からは「カッパ」と呼ばれた。怒ったりはしない、だって本当にカッパだもん。
それから、あっという間の二か月が経過する。
そろそろ、髪を切りに行かねば。また、あの若いスタイリストが担当することはあるのだろうか。あいつは圧が強くて言い返せそうな気がしない。あいつはヤバい。
俺の月の小遣いは一万円。そこに美容室代も含まれる。しっかり者の妻は甘くない。そのため、髪を切ることにあまりお金を割きたくない。担当する美容師が毎回変わったとしても、これまで指名することは一度もなかった。指名料600円はあまりにも財布に厳しい。
悩みに悩んだ末、ウェブでチコチコと美容室の予約とスタイリストの指名を完了する。
普通なのはいい。カッパになり、カッパと呼ばれるのはもう嫌だ。
帰宅後、妻から「今回はカッパにはならなかったのね。残念。でもいいわね、格好良くなってる」
「お気に入りの美容師さんに切ってもらったからね」
カッパにならなかったことで、愛らしいカバさんの手腕は正当に評価されることになった。
今後、指名料600円は、必要経費に含めることにしよう。
『誰よりも』
「誰よりも、愛してる」
「だから、それが怖いって、言ってるんでしょ」
「誰よりも好きなんだ、愛してる」
「私は好きじゃない」
「誰よりも、お前を見てきた」
「怖い」
「誰よりも、お前を知っている」
「怖い」
「誰よりも、尽くせる」
「怖い」
「誰よりもーーあれっ、なんだっけ、、、」
「気持ちわるい、お願い、もう死んで」
『10年後の私から届いた手紙』
食事を終え、彼女のアパートまで送り、また明日ねと手を振り合い別れる。彼女とのこれまでには紆余曲折があった。しかし、やっとこちらを振り向いてくれたと手応えを感じている。
帰宅後、今は何も考えれない、と空を見て過ごしていたところ、前触れも歪みもなく、リビングの中空から、バッと現れた真っ白な手紙が、ソファーに座っていた自分の掌に、ぽとんっと収まる。
それから1時間。
どうやら、10年後の自分から手紙が届いたらしいことを受け入れる。システムも理屈も分からないが、配達を請け負っているのは「時空間郵便マダミライ」という事業所らしい。
徐に、手紙を開くと、短く「お前は、アシスト役は完璧にこなすけど、主役になると、とちるぞ。10年後の俺より」と書いてある。
「とちるぞ」という表現に若干引っかかるが、普段の自分自身を考えると、まあ分かる気がする。筆跡的にも自分からの手紙で間違いないらしい。
んー、なんのことだろう。昇進すると痛い目に遭うということ?密かに夢見ている小説家は諦め、読者に徹しろという警告?いや、手紙との適合性がない。
結局、この手紙に対する見解がまとまらないまま、疲れた頭を覚ますためにシャワーを浴びたくなり、ソファーから立ち上がる。
もう寝よう。明日は、大事な用事がある。
長らく付き合っていた彼氏と関係のほころびに疲れていた彼女の相談に乗る最中、猛アピールし、別れさせ、自分に振り向かせた。別れた元カレは俺の幼馴染でもあるナオヤで、俺は一時、ナオヤの相談にも乗っていた。
明日、俺は彼女にプロポーズすると決めている。
俺は、彼女の人生の主役になるつもりだった。
ふと考える。
あっ、これのこと!?
『バレンタイン』
2月14日、18時、仕事終え、静かに帰路に着く。
今日は、この時期にしてはずいぶんと温かい。夜になっても重ね着ていたダウンジャケットやマフラーは必要ないほどで、薄暗い帰り道、右手に大きな荷物となり抱え歩く。妻からの連絡で、玉ねぎを買って帰って欲しいと頼まれ、スーパーにも寄ったため、両手に荷物を抱えることになった。
玄関を開けるのに手こずりながら、帰ってきたことに気づいているのだろうから、鍵を開けてくれてもいいだろうにと、ため息が出る。
ガサゴソと音を立てながらリビングのドアを開けると、エプロン姿の妻がキッチンからやっと顔を出し、何とか聞こえる小さな声で「おかえり」とだけ告げる。両手に抱えた荷物をジッと見て、フンっとガッカリしたような顔をしてキッチンに戻って行く。妻の後ろ姿を視線で追いかけていると、テーブルの上に置かれた鮮やかな色の紙袋が目に止まる。
ああ、そうだ、今日はバレンタインデーだ。
若い頃の俺は、バレンタインになると、職場から決して少なくない数のチョコレートを持ち帰っていた。既婚者相手に真剣にチョコレートを渡してくる女性などは居ようもないが、貴重な若い男性社員は可愛がられ、儀礼的なチョコレートを多くもらった。中には義理チョコとは思えないものもあったが、、、
チョコレートを多く持ち帰ることに、妻は嫌な顔を一つ見せなかった。そんな夫の妻であることに優越感を滲ませるような笑顔だった。何より、大の甘党の妻はたくさんのチョコレートに目を輝かせた。普段、甘い物を殆ど食べない俺は、それで妻が笑顔になるならと誇らしく差し出した。
40代になった俺は、白髪混じりで生え際も後退気味だ。お腹も少し出てきた、、、いや、結構ポッコリだ。歯の隙間も広がり、笑顔に若い頃の爽やかさは感じられない。儀礼的なチョコレートは次の世代に引き継がれた。もう一つももらえない。
朝礼後、女性社員から若い男性社員へ渡されるチョコレートのやりとりをひきつる顔を必死に抑えながら、微笑ましく眺めている上司の雰囲気を崩さぬよう努めた。(普通、上司にこそ儀礼は必要ではないのか?うちの会社の女性は強すぎる、、、)
妻は明らかにガッカリしているのだ。去年だって職場から一つも持ち帰っていない。一昨年、お局の佐藤さんにもらったのが最後だ。バレンタインの日は朝からズル休みしたいと思うくらい苦痛に感じている。しかし、役職的にそうはいかない。俺だって、手ぶらで帰るのも誰からももらえないのは寂しいに決まっている。
妻に「今日はカレーかな?」と声をかけたところ、「そうよ、早く手を洗ってきなさいな、オジサン」と言われる。
洗面所で手を洗い、改めてテーブルを見ると、3つの紙袋が乗っている。これまた見事な大・大・小だ。うちは4人家族で女性は妻だけ。俺、長男、次男の3人。
おそるおそる妻に「コホン、これは、、、」と紙袋を指差す。「ああ、バレンタインだからね。オジサンのは一番小さいのね。子供たちには後で渡すから。2人ともバレンタインにデートなんて、やるわよね。後でしっかり話し聞かせてもらわなきゃね。」オジサン呼びはまだ継続している。ふーんと言いながら、唯一のチョコレートが嬉しく安堵もする。ありがたく頂戴するよとさっそく開封したところ、去年と全く同じウィスキーではなく、日本酒ボンボン6個入りだ。昨年、食べてみて、硬いチョコレートに歯を入れると勢いよく飛び出してくる日本酒に咽せてしまい、感謝の言葉の中に遠回しに日本酒は苦手であることを紛らせて伝えたつもりが、全く覚えても伝わってもいなかったらしい。
まあ、でも感謝しなきゃな。妻は家族としての儀礼は守り続けてくれている。帰宅後は「オジサン」呼びが続いているが、朝は「あんた」と呼んでくれた。化粧の乗りが良く機嫌いい日なら「パパ」と呼んでくれることもある。何より、来年のバレンタインにもきっと日本酒ボンボンがもらえるだろう。しかし、胡座をかいてはいけない、妻だって、いつ儀礼をやめてしまうか分からない。感謝は強めに伝えるべきかもしれない。そうだ、会社で若い社員がやっていたあれをやってみるか。まだ流行っているのかどうかは知らないが、、、
両手の指でハートをつくり、
44歳、本気の「キューンです!」
「ふふ、なにそれ、バカじゃないの」
あっ、笑った!
『待ってて』
毎日、何を作り、何を食べるか。その苦悩は夢にまで現れる。
朝4時30分、不慣れな手つきで、砂糖多めの卵焼きと冷凍シャケをフライパンで焼く。本当にバタバタと調理するから、シャケと卵焼きの両方が黒く焦げている。弁当箱に早めに詰めておいた白米の上に焦げ面を下にして乗せ、少しでも見栄えよくなればと、シャケの角度を微調整する。高校生には野菜を食べさせないといけないと頭に強くあるため、安く買える小松菜で定番のお浸しを作るが、息子にはいつも「ほうれん草の方が好きなんだけど」と不評だ。うちはうちだからと力なく答える。
なんとか出来上がった決して見た目の良くない弁当に、ふりかけと個包装のドーナツを添え、「弁当忘れるなよ。今日も頑張っていこう。」と、いい親だと思われたい気持ちを込め、威勢よく声をかける。
俺も息子も朝ごはんは食べない。
俺は、朝ごはんを食べると、仕事中に頭と胃が重く感じる。息子は、朝食べると吐き気がするそうだ。
この生活習慣は正さないといけないとは思いつつ、お互い様であり、注意できる者が誰も居ない。
職場での昼休憩、俺は自家用車で弁当を食べる。人に気を遣いながら過ごすなんて、何の休みにもならないし、何よりこの弁当を見られたくない気持ちがある。昨年離婚したばかりで、高校生の息子と2人暮らしを始めた四十男は、職場の人たちの好奇の目に晒されている。弁当について評価なんぞされては堪らない。
就業時刻まで残り15分を切っている。最近の癖で、この時間になると、夕食の献立を考え始める。
高校三年生の3学期、専門学校が早々に決まっている息子は俺より早く自宅に帰ってきている。最近は洗濯や洗い物を積極的に済ませてくれているから助かるが、料理には消極的だ。
タイムカードを押し、職場の人に無意識に挨拶をしながら、夕飯になにを作るか考える。
カバンの中から車のキーがなかなか見つからず、手を突っ込みゴソゴソとかき混ぜながら、夕飯になにを作るか考える。
スーパーで、買い物かごに卵、小松菜を入れながら、夕飯になにを作るか考える。
考えて、考えて、考え抜く、、、
閃いた!
急いで息子に電話し、「今晩はカツカレーにするから、待ってて。」と威勢よく告げる!
頭はスッキリだ。