きっと明日も同じ日が続くと思っていた。
同じ時間に起きて、仕事して、帰ってきてご飯食べて寝る。
いつもの日々。
でも突然日常が終わることなんて、誰にでも起こることだった。
バイバイって、また来るねって言ったんだ。
目覚ましより早く起こされて、急いで向かった。
もう名前を呼んでもらえなかった。
きっと明日会っても同じ日々が巡ると思っていた。
きっとなんて、ずっとなんて無いと分かっていたのに、分かっていなかった。
昔、中学生の頃の帰宅中にいきなり雨が降ってきた事があった。
でも家を出る時に「降るかもしれないから折り畳み傘持っていきなさい」と言ってくれた母のおかげで焦りはしなかった。
カバンから出してのんびり歩いていると突然の強風でコウモリ傘になってしまい、直したけれど骨が曲がってしまい閉じなくなって壊れてしまった。
長年使っていたから仕方ない、と思いつつ傘はもうないので開き直ってびしょびしょになって帰った。
家に着く少し前に止んで、その日はもう雨は降らなかった。
傘を壊しびしょびしょになった私、通り雨というのか疑問だか、開き直って雨に濡れたのは楽しかった思い出がある。
目に見えなくて形がないものでも、沢山の名前がある。
愛情、好意、友情、心、信用、思いやり、......。
それらはどのように名前がつけられたのか、形がないのに何故そう言えるのか。
結局目に見えない部分が大半の人間にとって、形が無いけれど名前があるものはとても大切なものが多い。
たまに寝る前目を瞑りながら考える、考えて思ったことがある。
目に見えないから行動と言葉で示す必要があり、それによって相手にやっと伝わって双方納得するものへとなる。
形もなくて、目にも見えない、だけどとても大切なもの。
これからもそれらに振り回されるのだろう。
嫌いじゃない。
公園の遊具は昔から沢山あるけど、無くなった遊具も多い。
危険だからとか怪我をするからとかで。
公園なんて怪我をしてなんぼ! みたいな感じだと思ってたけど、時代が変わると怪我はしない事が1番になるんだね。
もちろん怪我をしないことに越したことはないけれど、怪我をして気づくこともあるから危ないから排除は勿体ないと思ってしまった。
そんな中であり続けるジャングルジム。
比較的そんなに怪我をすることがないからなのから回る地球儀とかコーヒーカップとか無くなっても、ジャングルジムだけはあり続けた。
小学生だと1年生は危ないから使っちゃダメとかあったなぁとたまに思い出す。
思い出の遊具が無くなるのは悲しいけれど、ジャングルジムだけでも残り続けて欲しい。
いつも何気なしに君を呼んでいた。
どこにいても返事をしてくれるから。
たまに無視されるのは悲しいけど、それでも答えてくれることの方が多かったから良かった。
ほら、またみんなの声が聞こえてきた。
「暑いなあー!風吹けー!」
暑い時には何度でも風を呼ぶ。