自分の考えを出すのはいけないと思っていた。
言ったところで自分の言葉なんて無いものとされてきた。
可愛い子、頭のいい子、友達が多い子の言葉は強かった。
徐々にココロに重しが乗っかった。
違うと言おうとしても重しがのしかかり言葉を発せなかった。
そんな中、高校生になったら人と違う意見も言えるようになった。
自分を持っている友達を見ていて、かっこいいと思った。
そして友達を見て自分が思っていることを言っていいと分かったのは、大きかった。
そこからココロの重しは少し軽くなった。
これからも自分が言いたいことを言えるように、ココロが苦しくなる前に息が吸えるように頑張りたい。
いつもお仕事お疲れ様
いつも家事お疲れ様
いつもいつも、ありがとう
感謝してもしきれないほどのありがとうが沢山ある
そんな貴女だから、大人になってもサンタさんが来てくれたんだよ
現金という現実味が強いサンタさんだけど
先に起きた貴女は
「ねえ!サンタさん来たんだけど!大人になってもサンタさん来てくれるんだ!!」
って喜んでたね
「お仕事頑張るいいこだったからじゃない?」
ってサンタさんは2度寝したけど
サンタさんからいつも頑張っているあなたへの贈り物
沢山の選択肢の中に人はいる。
私もその沢山の人の1部。
どれを選んでどれを選ばないか、選ばなかった選択肢はどうなるのか。
そんな考えても分からない事を考えてしまうことがよくある。
それでも選んだ選択肢が良かったんだと言えるような進み方をしたい。
未来への鍵は自分しか持っていない。
きっとその鍵は1つじゃない。
沢山の中から選んだ1つ。
最高なら最高のまま、最悪だったら最高に変えられるようになろう。
少し1年を振り返ってみよう。
毎月、週の初めは憂鬱で1日が長く感じる。
週の半ばでもまだ休みまで長いと感じる。
ボーッとしていても、忙しなく動いていてもすぐ1日は終わる。
そんな日々を繰り返して気づけば1ヶ月が経っている。
そして12月31日、今年を振り返ってみてやはり時の流れは早いと感じる。
あの出来事が、あの話しが、あのやり取りが、ずっと前の事だと思えない。
年々1年が早く終わっていく気がして少し戸惑う。
1年は長いようで短く、短いようで長い。
来年はもう少し気を引き締めて過ごしたい。
今年はありがとうございました。
来年もよろしくどうぞ。
どんなに大切な時間でも、全て平等に訪れる無。
その中で人はなんと思うのか、なんと言うのか。
次も会えると思っているのなら
「さようなら」「バイバイ」
という事が多い。
でも、もう次が無いとしたら?
記憶の中でしか会えないとしたら?
さようならなんて言わない。
「またね」