目に見えなくて形がないものでも、沢山の名前がある。
愛情、好意、友情、心、信用、思いやり、......。
それらはどのように名前がつけられたのか、形がないのに何故そう言えるのか。
結局目に見えない部分が大半の人間にとって、形が無いけれど名前があるものはとても大切なものが多い。
たまに寝る前目を瞑りながら考える、考えて思ったことがある。
目に見えないから行動と言葉で示す必要があり、それによって相手にやっと伝わって双方納得するものへとなる。
形もなくて、目にも見えない、だけどとても大切なもの。
これからもそれらに振り回されるのだろう。
嫌いじゃない。
公園の遊具は昔から沢山あるけど、無くなった遊具も多い。
危険だからとか怪我をするからとかで。
公園なんて怪我をしてなんぼ! みたいな感じだと思ってたけど、時代が変わると怪我はしない事が1番になるんだね。
もちろん怪我をしないことに越したことはないけれど、怪我をして気づくこともあるから危ないから排除は勿体ないと思ってしまった。
そんな中であり続けるジャングルジム。
比較的そんなに怪我をすることがないからなのから回る地球儀とかコーヒーカップとか無くなっても、ジャングルジムだけはあり続けた。
小学生だと1年生は危ないから使っちゃダメとかあったなぁとたまに思い出す。
思い出の遊具が無くなるのは悲しいけれど、ジャングルジムだけでも残り続けて欲しい。
いつも何気なしに君を呼んでいた。
どこにいても返事をしてくれるから。
たまに無視されるのは悲しいけど、それでも答えてくれることの方が多かったから良かった。
ほら、またみんなの声が聞こえてきた。
「暑いなあー!風吹けー!」
暑い時には何度でも風を呼ぶ。
私の友達は本当に細かいことによく気づく。
「アイシャドウ変えた?」「巻き方変えた?」
ちょっとした違いも気づいてくれる。
そして絶対に「最高に可愛い」と褒めてくれる。
いつも通りでも「今日も可愛い」と褒めてくれる。
そんな素敵な友達に囲まれているので、次第に自分でも「今日可愛いな」と思えるようになってきた。
思ったことを言葉にしてくれる人はとても大事だ。
今も、これからも大事にしていきたい。
植物は好きだが「手に入れたい!」「実物を見たい!」と思うほど好きなものがなかなか無い。
そんな私が初めて「欲しい、本当に綺麗だ」と思ったのは友達に誘われて行ったネモフィラ祭りだ。
一面青の綺麗な花が風に揺れてとても綺麗だった。
とあるアニメにも青色の花が出てきてたが、まさか現実に見れると思わなくて感動した。
目を瞑れば何度でもあの綺麗な青色の花畑が思い浮かぶ。