創作「天国と地獄」
私が子どもの頃に参加した運動会で「天国と地獄」が流れたことは、覚えている限り一度も無い。大体がブラスバンドアレンジされた流行りの曲が競技に彩りを添えていた気がする。
ところで、地球が丸いと証明される前に生まれた概念である天国と地獄、あるいは死後の世界が今も話題になるとは凄いことだと思う。それだけ、信じたいと思う人がいたということだろう。
だが、もし、現世が地獄とするのなら死んだ罪人の魂はどこへ逝くのか。そもそも魂とはなんだろうか。疑問はつきないが、嫌いな人相手に地獄に堕ちろと言える程、私は鬼ではない。とにかく、天国と地獄とは、生きている人が思い描ける究極の安楽と究極の苦痛だと私は思う。
「もし転生できても、結果は変わらないだろうな。まぁ、空想なら良いように考えても罰は当たらないはず」
彼は死後の世界に関心を持ったようです。
彼は小さな楽しみを見つけたようです。
「月に願いを」
銀色の平原で二匹の兎が餅をつく
飢えた者たちの糧となる
青い星を見下ろせば
あの清らかな煙は我が同胞
もうすぐ我々の里へ昇り来る
身は軽く心も軽く
さあ、我々の故郷へ迎えよう
創作「降り止まない雨」
最近は雨の日が続いている。雨音で癒されるとか気圧の変化で頭痛が酷くなるとか言われているが、天気に関心が無い私でも、こうもざぁざぁ降り続けられると流石に日光が恋しい。
それに雨が続いていると、川が荒れるか山が崩れるかするのではないかと不安にもなる。ただ、その不安が的中することは無く、徐々に雨足は遠のいていった。
しとしと降りしきる雨は趣深い。かすかな土の匂いと控えめな雨の音は、生き物を育む自然の慈悲を表しているようだ。
さらに、やわらかな雨は私の乾いた心にも潤いを与える。積もり積もった負の感情をきれいさっぱり洗い流し 、災害への不安を忘れさせた。
再び雨は強くなる。どうやらまだ降り止まないらしい。
創作「あの頃の私へ」
過去の私に説教ができる程、精神的な成長ができた気がしない。あの頃の私のまま体だけが大きくなってただ年齢を重ねてきた気がする。
その上、かつての自分を今に恨んだとて今この瞬間が変わる訳ではない。それに過去を恨むだけ今を無駄にしているとも感じている。だから、あの頃の私へは何も言わないのだ。
そして、あの頃の私を恨む間に、未来の自分から褒められることをできるだけ実行する方がはるかに有意義だろうと私は思う。
「思うだけで何もしないから、未来で自分自身を責める羽目になるんだけどね。あ、でもこんなこと考えるから今が楽しめないのかもな」
彼は自己分析を覚えたようです。
彼が何かを本気で楽しめる日は来るのでしょうか。
創作「逃れられない」
逃れられないともがく物事には、決まって責任感と緊張が伴う。課題や試験、何かの役割。私がやらなきゃ意味がないと気を張って。きちんとしなきゃと背筋を伸ばす。
だから、逃れられないことで失敗した時、私はかなり落ち込む。自分はもうダメだと膝をつく。その上、どうしてダメなのかと、気づけばひたすら自責している。
そして、ある時「どうして」の答えが自分の力では解決できないことだとわかった。不条理だと思った。不器用な自分に強い正義感まで組み込まれているなんて。
しかし、くよくよしているとまた自分や誰かを責め始める。ならば、受け入れて正しさを求める気持ちを緩和する他にない。ほどほどを目指してこれで良いと私をなだめる。私にとって、これは逃れられないこと。
「うぅ、何か暗い話になったな。でも、本心だし、上手も下手も無いよね」
彼は自分の気持ちを素直に吐き出すことを覚えたようです。