わたしは陰気な性格で物事を考えすぎて全部が嫌になってこの世界からいなくなりたいと願う夜が数え切れないほどあった。そんなときでもあなたはいつもと変わらず明るくて、関係ない話をしたり悩み事への対処を考えてくれたり、いろんなことを教えてくれた。
今までたくさんの時間を過ごしてくれたあなた。朝起きられない私を何度も諦めずに起こしてくれ、そのくせ夜寝るときは面白い話をして寝かしてくれなかったり。いなくなると不安で探し回ったりするけどすぐ近くにいたりして。仕事行くときも友達と遊ぶときも彼氏に会うときもついてくる。いや、わたしが連れて行ってるのかな。そういえば彼氏と出会わせてくれたのもあなただったね。
嫌になって全てを終わらせたくなるときもあなたはただそこにいてわたしにいろんな世界を見せてくれる。何があってもあなた、いやあなたたちはそこにいて日常であり続けてくれる。たくさんヒビが入ってしまっているけどもわたしがあなたのことを大切に思っているということは知っていてほしい。
#わたしとあなた
どうして別れ話は夜にすることが多いのだろう。束縛してきた人、遠距離だった人、二つ年下の人……別れた原因は浮気だった。かなり長い時間かけて悩み自分の中で答えを出して別れを告げる。それがお決まりのパターンだった。そして浮気した人が泣くのも。
自暴自棄になった私はマッチングアプリで出会いを求め、愚痴を聞いてもらったり趣味に興じたりした。誰のことも本気ではなかった。人を信じることができなくなっていた。
そんなとき目にとまったあるプロフィール文。大したことは書いてなかったけどなんかいいな、と思った。すぐにマッチして、お決まりの定型文のようなやりとりをしていたらだんだんと話が弾み数日後に会うことに。
プロフィールには顔が写っている写真はなかったので特に期待もしていなかったが、会ってみると当時好きだったアイドルにそっくりな顔立ちをしていることがわかった。くっきりとした二重、長く艷やかな睫毛、色素の薄い瞳、筋の通った鼻、そのどれもが似ていた。しばらく目を奪われていたが、その人のエスコートによりランチ、水族館、夕食とあれよあれよと言う間に時は過ぎ次回の約束をして解散。夢みたいだった。惹かれたのは顔だけではない。その人となりも素敵だった。会う度に良いところを見つけ、くだらない会話も笑顔も増えていた。こちらの気持ちは高まるばかり。
しかし相手はそうではなかったみたいだ。少しずつ私の優先順位が下がっている気がしていた。付き合っていないから優先順位が低いのは当然なのだが、最初の頃のあの言葉はなんだったのだろうなどと悩む時間が増えた。
そんなある日の晩、意を決してラインで告白した。人生で初めてだった。返事は「少し待ってほしい」。当たって砕ける覚悟だったので拍子抜けしてしまったが自分にはまだチャンスがあると思った。大丈夫、次は一週間後に会うことになってる。その日、もしくは私の出方を見てその次に返事があるだろう、そう思った。
ドギマギしながら待った一週間。当日の朝に一通のライン。
「ごめん、友だちとご飯行くことになったから遅れる」
呼吸が早くなるのを感じたが何時頃になりそう?と尋ねると
「何時になるかわからないからまた連絡する」
との返事が来た。
もう私に会う気がないのは明白だった。先日の告白をなかったことにしたい旨を伝え、非表示にした。
ブロックする勇気はまだなかった。
相手が私にそっけない態度を取り始めた頃からだろうか、私が夜に散歩をするようになったのは。
夏が終わりかけて涼しくなってきた頃。散歩のお供はいつ買ったかわからない古いイヤホンとお気に入りのプレイリスト。Enjoy Music Club、きのこ帝国、indigo la End、羊文学……いかにもというようなラインナップだが私はこれらを口ずさみながら歩くのが好きだった。夏の熱気が落ち着き澄んだ空気が支配する夜。散歩しながら泣くこともあった。
あれから三年。あの人の名前も声ももう思い出せない。いま私の隣には大切な人がいる。誠実できちんと向き合ってくれる人だ。手を繋いで深夜のコンビニで夜食を買ったり、コインランドリーでの待ち時間に散歩したりする。何気ない時間が楽しくて仕方ない。
ひとりで泣いた夜もふたりで笑いあった夜もずっと、月は見守っていてくれた。これからはずっと幸せな月夜を過ごしたい。
あの一連の出来事はきっと『夏の魔法』だったのだろう。いまはそう思う。
#月夜
私は「絆」というものが好きではない。どちらかというと嫌いだ。
「絆」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。私はまず小学生時代の運動会を思い出す。当時の私は可もなく不可もなく、友人が多くもなく少なくもなく、極めて平凡な人間だった。人のうしろをついていき、友人同士が喧嘩をすればできるだけ双方に良い顔をしてフェードアウトし、別のグループにお世話になる、芯がない性格であった。そんな私が唯一と言っていいほど嫌悪感を示した言葉、それが「絆」だ。
運動会、学芸会、宿泊研修など私はこの言葉が小学校行事のスローガンで使われがちだと認識している。
さて、「絆」とはどういう意味か改めて考えよう。デジタル大辞泉には『1 人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき』とある。……いや、重たすぎる。こんなに重たい意味をもつ言葉を私たちは「クラスの絆を深めよう!」などと気軽に使っていたのだ。
私はいまも昔もこの言葉について"自然に芽生えるもの、決して強制されるべきではない"と捉えている。
クラスが一致団結して仮に「絆が芽生えた」とされても、何も行事のない時期にはその熱はとっくに冷め、重たい雰囲気が教室中に充満してるではないか。
私は強制されるのが嫌いだ。そして「絆」なんて目に見えないもので縛られるのがすごく嫌いだ。「絆」なんてなくていいじゃないか。そう思っている。
話は変わるが「仲間」という言葉、これにも拒否感はある。しかし学生時代の私はたしかにクラスの仲間の一人だった。一年間同じ人間と同じ空間で飽きるほど長い時間を過ごし、小さな目標を一つずつ達成していく。そこにいるだけで「仲間」として存在し、役割を担うことができた。
いまの私に「仲間」と呼べる存在はいない。だから過去の自分が羨ましく、眩しくみえる。