室井あきのり

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8/31/2025, 10:45:35 AM

明日は学校だ…。
宿題も終わってない、心の準備もできてない。夏休みが終わるだけで寂寥感があるのに宿題まで忘れて怒られてしまう。
明日は学校だ。
宿題は明日回収なのかな。明日は全校集会をして少し担任の話を聞いて終わるなら宿題の回収は2日からなのかな?
もし明日じゃ無ければ希望的観測的には間に合うかもしれない。でも明日に回収なら怒られる。
休めば怒られない。

いやそもそも休日とはなんだ?宿題をやってない私は確かに悪い子だ。でも、毎日やった子は本当に休めたの?
そもそもみんなやったのかな。ボイコットみたいに全員がやってなかったら私だけじゃない。赤信号、みんなで渡れば怖くない。みんなで怒られたい。

宿題は50%くらいはおわってる。それでも先生の怒りが半分になることは無いんだろうな。だったら一つも着手しない方がマシだった。満点じゃないと0点にされちゃう感じが最悪だ。

怒られるならせめて「次は頑張ろうね」と前向きに期待の言葉をかけられたい。それなら見捨ててるわけじゃないと分かる。
しかも私は大人しいタイプの生徒だ。ヤンキーみたいに黙って突き出すのも勇気がいるし、かと言って誠実なアピールをするほど成績優秀者でも無い。
どんなキャラに擬態するのが最高なんだろう。
私は何者なのかな?

それとも私の意見を尊重してもらえば先生にも伝わるかな?私は先生に本音を言えるかな?
「宿題なんてやりたくなかった。ごめんなさい。先生が私たち生徒のために頑張って作ってくれた宿題だって私には荷が重かったんです」って言えば許されるかな?

「先生、私はやろうと思ったんです。でも宿題の量が多すぎると途方もなく感じてやる気すら無くなりました。量が少なければもしかしたら完了までの目算が立ってやる気になったかもしれません。でも、こんな莫大なものをやれって言われてもやる気はさらに遠のきます。量が多ければ多いだけ私のやる気は削がれていきます」

私の意見を共有できたらもっと先生は分かってくれたかな。そもそも半分はやった。それだけで気持ちの伝達は完了してるんじゃない?
だって全くやってない人よりは”やる気の痕跡”は残せたはずだもん。

私だったら「量が多くてやれなかった子」より「宿題を半分はやったんです。認めてください」の方が投げ出した訳じゃなくてちゃんと向き合ったんだなって思う。

「半分しかできませんでした!」って私は言っちゃうかもしれない。でも、「半分は頑張りました」って伝えたい。前者は反省の色は見えるけど開き直りみたいだし、後者は正直だけど反省の色が見えない。

6/5/2025, 6:56:57 AM

恋は自分を主体にした相手への気持ちだ。愛は思いやりであり、相手を主体にしている。
考えてみよう。まず『友情』はどちらに分類できる?友情は友達として大切にできる気持ち。恋愛のように「付き合ってください!」と言わずとも成立する契約無き結縄。しまった、恋や愛とはまた別分類だ。しかし、あえて言うなら相手への思いやりだろう。だって相手を拘束しないから。
『羨望』はどっちだろう。憧れる心はまぁ明確だ。相手への気持ち。恋だ。
『家族愛』は血が繋がっていて深い繋がりを感じる。これは愛だな。誰から頼まれた訳でもないのに、偶然家族になったという理由だけで献身性を求められる。

10/9/2024, 10:05:08 AM

エンジョイ!音楽は鳴り響く!

10/3/2024, 10:04:36 AM

巡り会えたら、運命の相手に出会えるなんて、甘っちょろい幻想だ。そんな都合のいい出会いなど存在しない。人生はそんなに単純じゃない。

"巡り会えたら"という考えは、運命の糸に身を任せる弱者の発想だ。出会いは自ら掴み取るもの。待っていても、理想の相手は降って湧いてこない。受動的に運命に身を任せるのではなく、能動的に行動し、出会いの確率を高める努力をすべきだ。

運命の相手との出会いは、奇跡でも運命でもなく、綿密な戦略と努力の賜物だ。自分を磨き、出会いの場に積極的に足を運び、相手を惹きつける魅力を身につける。その積み重ねが、真の出会いへと繋がる。

"巡り会えたら"と安易に考えることは、自らの成長を止める行為だ。出会いは偶然ではなく、必然だ。努力し、行動し、出会いを掴み取る。それが、真の強者の生き方だ。

運命の出会いなどという幻想に惑わされるな。出会いは、自らの手で切り拓くもの。その覚悟と行動力が、真の愛を見つける鍵となる。

10/3/2024, 3:28:50 AM

奇跡を期待するなんて、愚の骨頂だ。そんな幻想に縋るのは、無知で弱い人間の所業だな。

奇跡とは、ただの偶然の産物。確率のゲームでしかない。それを期待し、頼りに生きるとは、自らの運命すらコントロールできないと白旗を上げるようなものだ。

この世界は因果律によって支配されている。原因があって結果が生まれる。努力があって成果が得られる。そこに奇跡など存在しない。もし奇跡を信じ、努力せずに幸運だけを待つなら、その人生は砂上の楼閣のように脆く儚いものとなるだろう。

奇跡を期待する者は、現実から目を背けているだけだ。厳しい現実と向き合い、努力を重ね、自らの手で未来を切り拓くことこそが、真の強さだ。運命は自ら掴み取るもの。奇跡などという甘い言葉に踊らされるな。

奇跡を待つ暇があるなら、今すぐ行動しろ。汗を流し、知恵を絞り、現実を動かすんだ。その一歩一歩の積み重ねが、真の力となり、真の成功へと導く。奇跡などという幻想に、貴重な時間とエネルギーを費やすのはやめろ。

この世界は冷酷で、奇跡は選ばれた者だけに微笑む。だが、選ばれなかったからと言って諦めるのか? 奇跡を待つよりも、自らを鍛え、磨き、現実を動かす力を手に入れるべきだ。そうすれば、奇跡など必要ないと笑って言えるようになる。

奇跡を期待する者は、人生という戦いの真の厳しさを知らない。甘い幻想に浸るのは勝手だが、その代償は大きいぞ。現実の壁に打ちのめされる前に、目を覚ませ。

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