朝は来ないよ
連帯責任でねむろ
2024 3/22(金)『2人ぼっち』
使い道のないぬいぐるみを買う
2024 3/5(火) 『たまには』
今日は外に出ようとしたんです。
しかし鏡の前で支度する間に肌荒れが気になり、人様にこの肌を見せるのが急に恥ずかしくなって、結局家にこもってしまいました。
部屋でも肌荒れが気になります。
気になるのですがこういう手合いは刺激してはなりません。
ですから私は気になるけれども気にしてはいけないというむず痒い思いを抱え、頬を引っ掻きたくなるのをこらえていました。
神経回路がいたずらに正しい生き方の本を私に思い出させるので、私は家にこもっている自分が恐ろしく恥ずかしい存在のように通り魔に刺されたように突然思えて、ゴリゴリと自尊心を削られてしまいました。
正直言語化して心を守ることに精一杯です。
何もしたくありません。
勉強も家のことも人のことも自分のことでさえ手がつかない。
なので筆をとりました。
趣味に没頭してしまったという態度をとりました。
私は元来絵とか文とかをかくのに抵抗を抱かないような性分でしたので、思いの外かくという動作はできました。どんなに酷い心持ちでも、捨ててもいいような紙にやすっぱちの頼りない筆でつらつら書き連ねるのは苦にはならなかった。それが、どんなに眩しく嬉しいことだったか。こんな私でもできるものがあるのだ、とささやかに思えるものが1つあることは、わずかな自尊心を満たしました。
まぁできたからと言って、消極的理由でとられた筆になんの価値がありましょうか。
気づけば今日は終わるというのに、私が今日という日を消費して生み出したものはなんの成長もないガラクタだけでした。
なにも出来なかったから時計の秒針がこのロクデナシと責め立てているように感じます。
そうですね、こんな文章を作るなら寝て起きて活動することがいいですよね。明日は外に出れるといいな。おやすみなさい。良い夢を。
2024 2/27(火) 『現実逃避』
人からよく「お利口さんね」と呼ばれる子供だった。
小・中学校の教育相談では私は優等生でなにも言うことなしの子だったから、担任教師からクラスの席替えについてよく相談されていた。
「どうすればこの子達が静かになるか」
担任教師の悩みは決まりきってそれだった。
問題児と称される子達の名がいつもそこで挙がって、私はまだ子供だから愛想笑いで誤魔化していた。
問題児達はよく喋る。授業中も。だから教師の目の敵にされる。それによくグループ内で衝突して喧嘩沙汰になる。
「もっと上手くやればいいのに」
受験に必要な内申点が取りたかった私には、彼らの行動があまりにも幼稚でいっそ感心を覚えた。
学校内の行動は全て評価されるのだ。
なのに彼らは自分の好きなものと嫌いなものがハッキリしていて、運動会ではいの一番に盛り上げ役を買ってでたし、嫌いな教師には反発し、よく笑い、よく怒った。
結局、担任教師が考えた席替えは無駄になる。
授業中、後ろの席の彼らがはしゃいで、教師の声を遮るのを諦めながら聞いていた。
諦めと苛立ちと同情がない混ぜになっていた。
後ろの席は見たくなかった。
ただ、ほんの少しだけ彼らが輝いて見えた。
憧憬を抱いているのだ、と後に知った。
私は、いつの間にか大人の席に座らされていた。子供の無責任さと実直さが許される時間を消費して今に至ってしまった。
彼らは今頃どうしているだろうか。相変わらずはしゃいでどうでもいいようなことで胸ぐらを掴み喧嘩をするのだろうか。
私は激情を知らない。
教師の話を遮って友達に話しかける度胸も何一つない。
2024 2/22『太陽のような』
この言葉、枯れるならば徒花か
2024 2/19(月) 『枯葉』