紅茶の香り、私の大好きな香り。
私の夢の中に出てくる素敵な香りは紅茶なのかな?って時々思うけど不思議だけど違う香りなんだって思っちゃう。
どうしてかな?身体が疲れてるのに夢のなかでも苦しんで疲れなきゃいけないのはどうして?
そんなときに助けてくれたあの香り。
何だったんだろう。紅茶…。 紅茶な気がする。
きっと私を助けてくれたのは、私が愛したあの紅茶。
ありがとう紅茶。
声が枯れるまで心の中で叫んでいる。
だけど、どんなに大きな声を出しても周りには聞こえない。
声に出して伝えることは心の中で叫ぶよりずっと難しい。だって声に出せたとしてもそのsosは愚痴だととらわれてしまうから。すぐにかき消されてしまうから。
それが怖くて息詰まってしまうから。
でもあなたにはそんな人に寄り添える、「大丈夫?」の一言を言ってあげられる、そんな人であってほしい。
私はそんな人がいてくれるだけで助けを囁けるようになるから。
あなたがそんな人であったら、あなたが辛くなっても
きっと助けてくれる。あなたがあなたのことを。
始まりはいつも、不安からな気がする。
私はいつもどんなことに対しても不安を感じやすい体質だ。できるか不安になるけどとりあえずやってみる。
だんだん慣れてきてもやっぱり慣れきることができないのが私の弱点だと感じる。
この泣きそうになるくらい、もういやだって思ってしまうくらいの不安を和らげてくれる人の側にいたい。
人との関わりの始まりはいつもこういうところから。
私はすれ違いについて必ずしも悪いことではないと思います。そう考えた理由は自分の体験からです。
私は人を助けることや人が喜ぶようなことをすることが昔から好きでよく困っていそうな人を見かけると自分から声をかけて手伝っていました。そしてそのことを私は勝手に「喜んでくれることをすることができた!」と思い込んでいました。でもある日、先生から言われた一言で今まで自分がしてきたことは「良いこと」ではなく
おせっかいと思われ、ただの邪魔だったのではないのか、と思ってしまいました。言われた一言とは「余計な時間がかかっちゃうし一人でできるから手伝ってくれなくてもいいよ。」という私の良心を踏み潰すかのような言葉でした。そこで私はすれ違いとはこういうことなのかということを知りました。
意見や考え方がすれ違ってしまったとき、自分もいい気持ちにはならないし、相手にも余計な迷惑がかかってしまったのではないかと考えたりしてすれ違いを悪いこととして捉えがちですが、私は自分の意見をしっかり口に出せたり、自分が相手が喜ぶと思ったことを行動に移せたりすること自体が大切なことだと思うのですれ違いは必ずしも悪いことであるとは思わないし、色々な人がいて色々な意見がある、ということを知れる大切な経験であると思います。