羅針盤のような人、という例えがあるらしい。
思想や信念がブレない、自分の軸を失わない人を言うらしい。
なんでも例えようがあるんだなあ。
日本語だもの。
ぱぐを
明日に向かって歩く、でも、たとえ歩かなくても明日は向こうからやって来る。
こう考えると、明日が来るかどうかが不安なんじゃなくて、明日が無慈悲に自分を置き去りにして通り過ぎて行くのが不安なのではなかろうか。
と言うわけで、明日という存在はわりとビジネスライクである。
「月は百代の過客にして」とは松尾芭蕉の「おくのほそ道」の冒頭だが、その頃から月日はそういう概念を持たれていたのかなあ。
ただひとりの「君」へ。
自分はただひとりの「自分」です。
「みんな」は「ただひとり」の集合体で、その状態です。
孤独だとかぼっちだとかシングルだとか、「ただひとり」の呼び方は色々あるけど、まあ、呼びたい人は好きに呼べばいいと思います。だって、結局は誰しも「ただひとり」であることに変わりはないのですから。
最後に、ただひとりの「君」、読んでくれてありがとう。
手のひらの宇宙‥現代に例えるならスマホかな。
現代において、スマホはパソコンやテレビ、電話の機能をはるかに凌駕した存在である。
そのうち、スマホはもっと小型化し、体内に埋めこんで使うようになるかもしれない。そして、手のひらを画面にして操作できるようになるかもしれない。
そうなれば、まさに『手のひらの宇宙』である。
これを書いていて、ふと漫画家の藤子・F・不二雄氏が『SF(サイエンスフィクション)』を『すこしふしぎ』と提唱していたのを思い出した。
ちなみに自分は『スペースファンタジー』だと思っていた(笑)。
朝車に乗ると、エアコンが暖房ではなく冷房に切り替わっていた。
まだエンジンが温まってないから冷たいのだと、ひたすら耐えていたのに‥(泣)
マジ風のいたずら‥‥。