明日に向かって歩く、でも、たとえ歩かなくても明日は向こうからやって来る。こう考えると、明日が来るかどうかが不安なんじゃなくて、明日が無慈悲に自分を置き去りにして通り過ぎて行くのが不安なのではなかろうか。と言うわけで、明日という存在はわりとビジネスライクである。「月は百代の過客にして」とは松尾芭蕉の「おくのほそ道」の冒頭だが、その頃から月日はそういう概念を持たれていたのかなあ。
1/20/2025, 12:13:52 PM