秋の代名詞であるススキ。しかもススキは、観賞用だけでなく茅葺き屋根の素材としても、古来から重宝されてきた。
しかし、現代の日本において、ススキはある植物に生存を脅かされている。それは、セイタカアワダチソウである。
外来種であるセイタカアワダチソウは、その生息地を日本全土に拡大して、その縄張りをススキの生息地にまで拡充しているのだ。
ちなみに、そのセイタカアワダチソウも、シスデヒドロマトリカリアエステルという業を背負っていて…。
個人的には、某キノコタケノコ戦争より興味ある話。
興味ある方はググってみてください。
脳裏とは、頭の中、心の中という意味らしい。
昔の方は「脳裏に浮かぶ」「脳裏をよぎる」など、表面的には見えないけど、確かに頭蓋骨の中で感じる感覚を、表面的には見えないから「裏」と名付けたのだろう。
見えない部分を「陰(影)」や、ストレートに「脳内」や「脳中」ではなく、「裏」と表現したところに、日本語の奥深さを感じる。
「内裏」とか、「裏本」とか、「裏の組織」とか、「裏の意味」とか、なんか「裏」ってエキゾチックでセクシーな響きあるよね?
以上、にわか日本語フリークの独り言でした。
自分的に意味がないと思うこと。
『やる気が出ない時の、やる気の出し方を考えること』。
やる気の出ない時というのは、そもそも「何もしたくない考えたくない動きたくない」という時だから。
やる気スイッチとやらを探しても、もともとの自分が電源OFFなら意味無いしなあ。
じゃあ、どうすればいいのか?
『やる気』なんて、そんなもん最初から無かったんだよ〜と開き直ることです。
あなたとわたし たのしくあそびましょう
おおきなくりの きのしたで
『大きな栗の木の下で』という童謡。
子どもの頃は、イガのついた栗が落ちてくるかもしれない
木の下で遊ぶとはなかなかデンジャラスだと思っていたが。
大人になった今、よく考えたら栗が実る時期以外なら別に木の下にいても危険性は無いのだと気づいた。
というわけで、存分に楽しく遊んで下さい。
『弱い』でも『小雨』でもいいのに、『柔らかい』と表現するのは、雨が日本人に愛されてきた証拠だよなあ…と、分かったような、分かってないような(多分こっちの要素が8割)ことを考えた。
じゃあ、『硬い』雨とは何か?
ーそりゃ霰(あられ)か、雹(ひょう)だろ。
そう真っ先に思いついた自分は、やっぱり分かってない方の人間でした。