秋の気配をいつ感じるだろうか。
夏だと思っていたら気づいたら秋で、すぐに冬になるというイメージがある。
紅葉だろうか、店に並ぶ野菜だろうか、はたまた空気感だろうか。
秋は曖昧な季節だ。
その曖昧さは紙に塗られた背景のようで、そこに何かを描き足すのは自分自身だろう。
自分は秋という世界観が好きだ。
自室に何週、何ヶ月と篭っている。
この6畳が自分の世界で、窓越しに別の世界を見ることができる。
誰にも合わない。でも、たまに窓に訪問者がくることがある。
この間は蜂が来た。羽音を立てて、まるで自分を慰めるかのように窓の付近をウロウロとしている。
その前にはバッタが窓に付いていた。動かずにじっとこちらを見つめる。
その前には鳥が来た。まだ朝早いのに、何かを全うするように飛び回っている。
どれも純粋無垢な訪問者だ。
それを嬉しく思う反面、現状の自分が情けなく感じられた。
鬱
その言葉が思い浮かんだ。
形がない。誰にも理解されない。
終わりのない孤独。
数ヶ月前は絶望の淵に立っていた。今はそこから1歩だけ遠ざかった所にいる。
あの時は毎日が地獄で死にたくなっていた。けど、溢れ出る言葉はどれも気持ちが真に篭っていて、今は少し羨ましくもある。
近所に公園なんか無くて、だからこそ小学校で集まることが多々あった。
ブランコ、鉄棒、そしてジャングルジム。
どれも触れたのは低学年の時だろう。
全員でドッジボールをしたり、鬼ごっこをしたり、遊びも段々と変化していった。
今の子供は家でオンラインゲームをしているらしい。自分もかつてはしていたのだが、外と中のバランスが取れていた気がする。
今はそんな過去が愛しい。愛しくて、懐かしくて、美しくて、ちょっぴり切ない。
あの頃に戻りたい。
今の自分を見たら、昔の自分は悲しむかな
声が聞こえる。
これはきっと虫の声だ。
この時期になるとやかましいくらいに鳴き声が聞こえるのだが、しばらくすると耳がそれに慣れる。
今度は逆にその音が自分の『日常』になり、ささやかな無くてはならない物へと変わってくる。
ささやかな無くてはならないものとは、一体何なのだろうか。
豪雨で雨粒が屋根を弾く音、月を眺めたくなる気持ち。そんなふとした瞬間なのだと思う。
それを日常に溶け込ませずに、たまには切り取って、自分の記憶のフォルダにしまうと心が安らぐだろう。