秋の空が晴れているという経験があまりない。
これは夏と冬の境目が分かりにくくなって、秋という意識が抜けてるからに思える。
今は秋、そして今日は曇りだ。
まだ、曇天は続くらしい。
希少だからこそ、秋晴れという言葉が甘美に、心地よく聞こえてくる。
明日はきっといい日になる。
それは単なる思考の放棄ではないだろうか?
よっぽどの事がないと周囲の環境は変わらないし、自分自身も変えられない。
そんな状態で明日を期待できるのだろうか?
過去の自分にこう言いたい。
「明日は今日と変わらない。変わっているのはお前の物の見方だけだ」と。
窓を閉めて、扉も閉めて、明かりを消して、耳も目も全て塞ぐ。そんな何もない、空間、感覚が恋しくなる。
現実逃避に思われたりするかもしれない。いや、実際これは逃げているに過ぎない。
見たくない物から目を背けて、聞きたくないことに耳を塞いで、逃げて逃げて、逃げ続けることを何度もしてしまう。
もう少し前はもっと自分の世界は広かった。何でも出来たし、どこにでも行けた。
でも今は違う。この6畳の狭い部屋が自分の世界で、全てだ。誰にも踏み込まない、踏み込まれない自分だけの領域だ。
外が怖い。人が怖い。
怖がったまま何もできない、自分が怖い。
「バイバイ」とか「さよなら」なんて仲の良い友達には逆に言わない。気恥しさというか、なんというか、そもそも別れるという意識がない気がする。
「じゃ」とか「また」なんて必要最低限の言葉で別れる。それで通じ合える。
あらためて思い返せば、それって凄いことなんだなと思う。縁が続くというある種の確信を持っているといってもいい。
言葉がなくても伝わる。それは本当に素晴らしいことだと、心から思う。
突発的に降る雨ほどワクワクするものはない。
これは自分が今までの人生で、外にいる時に急に降られるという経験をしていないからだろう。
屋根を叩く音。屋根を弾く音。
ああ、今日は天気が悪いのかななんて誰かに話しかける。「それほどじゃないよ」と返される。
そんな些細なやり取りが心地良い。