『私の名前。』
「あなたのなまえはなんていうの?」
そう目の前の女の子に聞かれた私は反応に困った。
名前でなんて呼ばれたこともないからだ。
そんな私の様子をよそに女の子は言った。
「わたしがね!なまえをつけてあげる!なまえはね……」
女の子の言葉の途中、限界を迎えた私の意識は落ちてしまった。
私は母と二人で生活していた。
父はよく分からない。私が物心がついたときにはすでに居なかったからだ。
母は強く優しかった。
私は生まれた時から両耳が欠けていて他の子らからは気味悪がられていたのだ。
そんな私を母は護ってくれていた。
そんな母が大好きで、大好きで、私は母のそばを離れたくなかった。
こんな毎日がずっと続けばなと思っていた。
夢物語など現実には存在しない。
幸せな日々は凄まじい音を立て終わりを迎えた。
別れはいつかやってくる。
そんな当たり前のことを理解するより早く目の前から消えたのだ。
物理的に。
目の前であまりに速い質量に母は連れ去られる。置き去りになった私はあまりの出来事に動転して逃げてしまった。
事からの日々は散々だった。
私だけでは生きることも難しい。
いや、無理だった。
周りから気味悪がられている私に関わろうとするものいない。
あの出来事から食べず飲まずの日々。体も心もボロボロで、あとは死を待つのみ。
そのはずだった。
公園の草木の影で死を待っていた私の前に笑い声と共に人がやって来たのだ。
「わぁ!ねこちゃんだ!」
「あなたのなまえはなんていうの?」
この出会いから私の運命は大きく好転していく。
意識を失って力の無い私は抵抗も出来ずその子に抱きかかえられ、その子より大きな人の元まで連れてかれた。
「きめた!あなたのなまえはね!ミミ!おみみがないからわたしがみみをつけてあげる!」
女の子に大事に抱えられながら名付けられた。
……名付けられてから一ヶ月が過ぎた。
「ミミ!おて!」
「にゃ〜」
耳の無い猫は新しい家族にミミを付けてもらい幸せに暮らしている。
私の名前はミミ。
私の大切な名前。
お母さん、私は今日も元気に楽しい毎日を過ごしてます。
「視線の先には_。」
高い電子音が鳴る。
音を上書きするように、嗚咽のまじる湿った高い声が白に囲まれた空間に広がっていく。
その声は白い雲を濡らし薄く濁し、やがて生命の乾いた大地を濡らす。
雨音が伝染していく。やがて雨音しか聞こえなくなる。
降れども、触れども、その大地から芽吹くことは無い
渇きは癒えても命は戻らない。
『私のために雨を降らせてくれてありがとう』
視線の先には、咽び泣く母親と親戚たち。
癒えた心の種から大地から育った大きな蔦、みんなが育ててくれた心は高く雲を突き抜ける。
私はそれを登りまた新しい命の花をどこかで咲かせていた。