ちょいと違和感を覚えたので、あえて重箱の隅をつつくようなことを申しますと、『木枯らし』は冬の中でも初冬の季語になりますね。
木枯らし1号は10月半ばから11月にかけて観測されるようです。
最近、目を開けるのもつらい強い風が吹いた日がありましたが、今の時季なら『寒風』などのほうがそぐう気がしますな。
こういう細かいことを言う人って敬遠されますよね。まあ、匿名ですから。
『木枯らし』
亀「兎さん眉間にシワ寄せてどうかしました?」
兎「例の作文アプリ、この3日間のお題を繋げると妙に意味深でさ、それに沿ったものを書くべきかなって」
亀「繋げるとどうなるんですか?」
兎「どうして・この世界は・美しい」
亀「君は・薔薇より・美しい?」
兎「それは布施明。……美しいしか合ってないし、若い人には通じないよ?」
『美しい』
(かつての紅白常連)
『この世界は』とは、ずいぶんと壮大なテーマが来たものだ。
私の世界は自宅で完結する。
ブランケット、へたったクッション、コーヒー、ラジオ……スマホ片手にごろ寝する態勢を整えたスペースが私の主な世界だ。
外の世界では常に部外者。
生きていく便宜上外にも出るし、世間のニュースへの関心もそれなりにあるが、世界との一体感なんて持ったことはないし、遠く広がる世界へ羽ばたきたいと想いを馳せることももはやない。
ずっと狭く小さな世界で生きている。
ここまでくると死ぬまで変わらないだろう。
私にとってのこの世界はごろ寝するところで、結果論だがそれはそれで悪くない。なんか欠落している気はするけど。
『この世界は』
後悔、疑問、驚き、怒り、自責。
「どうして」にも様々な「どうして」がある。これから書く「どうして」は卑近な疑問だ。
書く習慣アプリで投稿したり「もっと読みたい」を押すと、広告が出る(出てこないときもある)のはご存じのとおり。
そのときアプリの動画広告が出てくると、個人的にはがっかりする。たまに珍現象が起こるからだ。
途中で出てくるスキップ>>|や閉じる×を押すと、通常は広告の最終画面になるはずなのだが、毎回ではないにしてもGoogle Playに飛ばされることがある(Android端末を使っている)。
確かに>>|や×を押したつもりなのに、よっぽどピンポイントで押さないといけないらしい。
飛ばされても簡単に戻ってこられるのならいいが、ひどいときは戻って画面の×を押すとまたGoogle Playへ飛ぶ。
使い始めた当初は行ったり来たりして、広告のアプリをインストールするまで永遠にこのループから逃れられないのか?という疑念まで頭をよぎった。
結局、辛抱強く動画を眺めて最後の画面を待ち、×を慎重に押すことでやっと終わる。
最初から素直に待てばいいと言われればそれまでなのだが、この現象への疑問を表すなら「どうして」より「なんでよ」に近い。
それとも私の指が太いのだろうか。
『どうして』
憧れは憧れのままにしておきたいほう。近づきすぎると醒めてしまいそうだから。憧れるからこそ微妙に距離をとってしまう。
一方でいつかどっぷりハマれる推しに出逢い、推し活というものをしてみたい願望もある。
『夢を見ていたい』