「ねぇ、あの人元気かな」
ふと呟く貴女に、私は愛想笑いを浮かべる
きっと元気にしているわ、なんて
何も知らずに返せたらよかったのに
あの人ね、結婚したのよ
隣町に引っ越したのは、そこに家を建てたから
営んでいた花屋も移転して盛況しているみたい
お相手はパン屋の娘さんだって
美男美女でお似合い夫婦だなんて持て囃されて
毎日幸せに暮らしているそうよ
でもだからこそ、そんなこと貴女に言えないわ
あの人を何年も想い続けてきた貴女に
報われなかった心を貫くような現実を
いつかきっと貴女は知ることになるでしょう
想像しただけで胸が締め付けられるようだわ
貴女が傷つくところなんて見たくない
あの人のことなんて忘れてしまえばいいのに
いつかきっと
この大樹の下で落ち合おう
貴方と交わした遠い約束を
ずっと忘れられずに待ち続けている
貴方はもう来ないとわかっているのに
私の知る貴方は
もうどこにもいないのに
ねぇ、星は好き?
夜空を見上げてそう聞いた貴女のことを
なぜかふと思い出していた
別に好きとか嫌いとかそんな感情はなかった
日が落ちればそれは当たり前にあるもので
消えてしまったら、なんて考えたこともない
だからこそ私は軽視していたのかもしれない
貴女という大きすぎる存在を
今までずっと気づいていなかった
意識しようとすらしていなかったんだ
大切なものは失って初めて気づくという言葉を
いつか、どこかで聞いたことがある
私には関係のない話だと思っていたよ
今なら痛いほどよくわかる
今なら、あの時の貴女の問いに
好きだよ、と答えてみせることだってできるのに
落涙の箱庭と呼ばれるこの町の中央には
一雫の涙を零し、祈る女神の像がある
「女神のラクリマ」と名付けられたその像は
愛を失くした女神の姿を象ったものらしい
私は、雨が降るたびにいつも彼女を思い出す
今でも愛した誰かを想って泣いているのかと
もう二度と戻らない日々を思い出して
哀惜に囚われているのか、なんて
貴女が聞いたら笑ってくれただろうか
本当はずっとわかっているんだ
過去に囚われ、前を向けないのは私の方だ
数年前貴女を失った哀しみに溺れているのは
他の誰でもない、私のことなのだと
女神様、貴女が微笑むのではなく泣いているのは
私のような人間に寄り添うためなのですか
私のような、愛を失くした人々に
素敵な夢だったよ
貴方の隣にいられた日々は
私の人生で最も幸せな瞬間だっただろう
何ものにも代えがたいくらいに
だからこそ後悔しているの
すぐに会えなくなるとわかっていたら
もっと私に勇気があれば…
貴方に想いを伝えればよかった
たとえそれが叶わなくても
ただ一度でも、貴方と手を繋いでみたかった