〝向かい合わせ〟
さっき母と買い物に行って帰ってくる途中。すれ違った女の人、腕の中に自分の子供であろう赤ちゃん。
なんていうの、こう抱っこ紐で向かい合う(?)感じで抱っこされてて、ハンディファンを赤ちゃんに当ててて、赤ちゃんはお母さん?の服をぎゅっと掴んでて。
「ちっちゃ……」って思わず呟いたら母も「かわい」って続けて。いいなあ私もあーやってずっと抱っこされてたいな。赤ちゃんプレイとかそういう話じゃなくて。
小さい子とか街中で見かけたいいな〜ってなんか思っちゃう。進路がどうのとか、私これからどうなるんだろとか、明日学校行きたくねえな〜とか考えんくていいし。
…………
なんだこれ。私こわ〜
〝やるせない気持ち〟
悲しいニュースとか暗いニュースを見ると、なんか「なんで全員が幸せになれないんだろうな」という何とも無謀なことを考えてしまう。
こんなん理想論というか綺麗事でしかないのに。
「全員幸せになれたらいいのに」と思いつつ私は特に何か行動に移してる訳でもないし、他人事だから無責任なこと言えるんだろうなという感じもするけど。
それに多分この漠然とした考えは自分の幸せの上に成り立つんだろうなと言うか。きっと気分が落ち込んでる時はこんなこと思わないはず。何が言いたいかっていうと私もわからん。
〝さよならを言う前に〟
小学4年生の時、保育園から同じのわりかし仲がいい(って思ってた)友達が3学期の終わりと同時に転校した。便宜上「Mちゃん(仮)」とする。
結構ずっと一緒にいたから知らされた時は実感が湧かなかったけど、5年生に新入して教室に踏み入れた時にはMちゃんはもう大阪にいて、あ〜ほんとに転校したんだなって悲しかったりした。
ゴールデンウィークとか夏休みとかのタイミングでこっちに帰ってきた時何回か会ったこともあったけど、すっかり関西弁に染まってたのもちょっと悲しかった記憶。
で、話は4年生の3学期に戻る。その日はクラスでMちゃんのお別れ会的なのをしていた。同級生が順番に「Mちゃんありがとう」などなど話すビデオメッセージを見ながら、みんなで作ったホットケーキを食べていた。
もちろん私もその中に映っていて、放課後そのビデオメッセージ用に別教室で動画を撮ったのを今も覚えている。なんでか言葉を選んでるうちに泣いちゃって、先生が困りながら教室から別の子を呼んできて一緒に動画に映ってくれたことも。
そんなお別れ会も終わって家に帰った放課後。インターフォンが鳴って出てみたらびっくり、さっき一緒にお別れ会をしたはずの、転校するはずのMちゃんだった。
なんでわざわざ……と思ったけど、この間Mちゃんの家に遊びに行った時に忘れた3DS(ゲーム機)のタッチペンを忘れていたから届けに来てくれたんだとか。
ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけ「最後だから○○(私)ちゃんに会いきたんだ……😭」みたいな展開を期待してたけどまあ普通に違った。いやありがたかったけど。
高校生になった今Mちゃんとはもう3年くらい会ってなければしばらく連絡も取ってないけど、このお題を見てパッと浮かんだのがこの思い出。未だにMちゃんが住んでいた家の横を通ると「Mちゃん元気かな〜」なんて思い出に浸ってしまう。
今でもLINEは繋がったままなのでいつでも話そうと思えば話せるのだけど、「どうせ向こうは私のことなんか忘れてるだろうな〜(被害妄想)」と思うとどうも躊躇してしまう。あんなに遊んでたのになぁなんてしんみりしながら。
〝鏡〟
鏡の中の自分はいつもつまんなそうな顔をしている。
特大楽しいことがあった訳じゃないから真顔ってのもあるけど、1番の理由は自分の顔があんまり好きじゃないから。
いや、あんまりというか嫌いって方が正しいかな。
いつか鏡を見て笑える日がきたら嬉しいんだけど。
〝いつまでも捨てられないもの〟
お菓子の空き箱、出かけた時の買い物のレシート、
小学生の時友達がくれた鉛筆のキャップ、本の帯、
自分はやたら色んな物を残したがるタイプだと思う。
もしかしたら何かリメイクできるかもと思って使用済みの紙コップなど洗ってコレクションするし、トイレットペーパーの芯なんかも集めたくなる。ガチャガチャのカプセルとかも捨てられずにいる。
空き箱やカプセルを集めるまではまだ分かるけど、レシートは自分でも「はよ捨てろよ」と思ってる、財布パンパンになるし。
でもなんか、こういう人から見たらただのゴミでも自分的にはそれすら思い出の一部というか……
たまに取り出しては1人思い出に浸るのが好きで、ついつい大事に部屋の隅に眠らせてしまう。
空き箱などは「これは何に使えるかな〜」なんて想像するのが好きで、まぁ想像するだけなんだけど……そんなんだから部屋が物で埋まっていってしまう。