「目が覚めると」(一行詩)
寝違えてバイトに遅れる
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ふと目が覚めるとねこたま
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目が覚めると生きてるなぁ…
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群青の空の世界に目を奪われて
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異世界でもなく幻想世界でもなく 押し入れの中
「わたしの当たり前」
難しいよね。
社会的ルールに一般常識があっての当たり前。
その縛りの中で自分の当たり前なことが理解されるか否か。
Myルール・ルーティンみたいなものだと
理解して宜しいのでしょうか?
改めて「わたしの当たり前」と聞かれるとなんでしょうかね?
日常的生活においてそのようなものを設けてないと云いますか、
無自覚に近いので回りから云われて気が付くこともあるので、
「それ」が日常的行動における
「わたしの当たり前」の行動になるのでしょうか?
「街の明かり」(一行詩)
瓦斯灯に照らされた午后伍時の急ぎ足
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橙色の灯に導かれて探し出す アナタの姿
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揺れに怯える3月11日の街の灯りは消えて
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ネオン街の明かりに惑わされぬように
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街の明かりは幾らぐらいするのでしょうか?
「七夕」(一行詩)
性欲に溺れた星月夜の二人
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天上のイチャつく二人を他所に焼き鳥を食らう星祭り
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夜這い星に願いをかけて
「友達の思い出」
今日のテーマはちょっと嫌なテーマだな。
新しい友人が出来れば 古い友人と交流が途絶えるし
付かず離れすぎの付き合い方が良いと思うよ?
現実世界でもSNSの世界でもね、
付き合い方に頭悩ませる訳だし。
まぁ、嫌だなと思えば、すぐに縁を切れば良いけど、
今はそうはいかないよね。Twitterで何かと晒されちゃうし。
難しいもんだよ。友達作りも思い出作りも。
まぁ誰かと一生の思い出を作りたいて思いがない。
良いじゃない。思い出作りしなくても。