#11『忘れたくても忘れられない』
先生、お元気ですか。私、春から高校教師になるんです。先生に憧れたから、じゃないですけどね。だって生徒と教師であんなこと、間違ってもいけないでしょう?……でも、きっかけは先生との出会いが与えてくれました。
当時の私は容姿端麗で首席の皆のマドンナ。うまく学校生活を送っていたものの、何も楽しくはなくて。ただ、笑顔を貼り付けて仕事をこなして、クラスメイトや教員陣の気分を害さないようにしていただけ。それでも、こんな風にしてでも、私は誰かと繋がっていたかった。それくらいに内側は毒されていた。
放課後、図書館で閉館時間まで勉強して家に戻れば、きちんと着ていた制服を柄の違うもっと短いスカートに履き替えてリボンを付け替えたり、露出の多めな私服で出かけて、相手を待つ。いや、待たなくとも声はかかる。さすがのJKブランド。これはお小遣い稼ぎじゃない。いい大学に行って自立するにはバイトをする時間はなかった。荒んだ環境の中、生きるために自らを傷つけた。
でもあの日、夜遅く歓楽街からの帰り道で、先生に会ってしまって。こんな時間に何かあったらどうする、とか、家の人が心配するぞ、とか、教師っぽいこと言ってたけど、私にはどうしようもない。金曜日は母が誰かしら男を連れて帰るから追い出されるんだもの。宿泊代もくれないくせにいつも好き勝手する。
どうすればいいんだろう。いつも通りのいい子の対応はこの状況じゃ効きそうにない。でも素直に洗いざらい話したら、これまで積み上げたものが今度こそパーになる。考えた後にこぼしたのは「助けて、ください」なんて言葉で、惨めな気持ちになる。でも私はただ、寂しくて誰かに頼りたかった。
先生は私の腕を引き、合わない歩幅に速歩きになりながらついて行けば、そこは先生の家だった。担任だけど、朝のHRと数学の授業で会うだけ。行事も完全に生徒に委ねていて。気怠げで無表情でヘビースモーカーで、偶にノリが良いけど、生徒に人気って感じじゃなかった。
なのに、あったかいお茶を入れてくれて、うんうんと話を聞きながら優しく頭を撫でられた時、子どものように泣いてしまった。知らない人じゃない、心を打ち明けられる人の温もりが心地良かった。
それからすぐ、特定の生徒に肩入れするのは良くないのに、私は先生の家に住ませてもらうことになって。互いに惹かれ合うのにも時間はかからなかった。
満ち足りる、ってこういうことなんだと思う。毎日がキラキラしていて、周りの当たり前の生活がこれ以上にない幸せだった。偽物の笑顔が無くなったことでもっと皆と距離が近くなって年相応の女の子になれたし、先生もクラスによく顔を出すようになっていろんな生徒に囲まれてた。
修学旅行も夢のように楽しくて、誰かと同じものを一緒に食べれるのに感動してジーンとしていれば、先生に人間1年生だな、って笑われた。
進路については努力実って学費免除で合格できたので、母とはおさらばして一人暮らしをすることに決めた。
先生とも卒業式で最後にした。このまま関係を続けたかったけれど、先生は私のことを考えて、私は私でそれを前向きに捉えて、円満なお別れ。またいつか会おう、と桜吹雪の下で抱き合った。胸が苦しくて仕方がなかった。本当に大好きだった。
大学は、私みたいな子に気づいてあげられるように、と教鞭をとる道を選んだ。それだけじゃ足りないと公認心理師の資格も取った。勉強の楽しさをわかってもらえれば、何かの逃げ道になるかもしれないし、きっと将来役に立つ。誰かを救うことで私も救われるはずだ。一般企業に就職して社会経験を積んで、やっとこの春から、私も先生と呼ばれる。大丈夫、ひとりでもちゃんとやっていける。
予め先生同士の顔合わせで、職員室にお邪魔することに。簡単な自己紹介をしていたら、「すみません遅れました」と1人入って来て、目を見開く。どうしてここに。よろしく、と口パクする彼に体中が熱くなった。
#10『やわらかな光』
朝4:30から勉強。実はまだ月が見えてたりもする。静寂の中、ノートを走る音だけがしていて、集中力が増していく。
だんだんお腹が減って、気づけばカーテンからお日さまの光が。ここでちょっと紅茶のおかわりを。
#9『鋭い眼差し』
向かいのピアノに座るのは、色白の肌に栗色の髪で、なんだかハーフみたいな顔立ちの彼。久しぶりの連弾で心が弾む。ちょっぴり緊張もするけど。
毒舌でSっ気があって無表情なものの、テニスもできてモテそうなのに、学校では独りでいることが多いらしい。まあ、こちらとしては取られる心配がなくて助かる限りだ。
楽譜を広げて彼の方に目をやると、突状棒で抑えた屋根と譜面台との隙間で視線がぶつかる。……びっくりするでしょうが。毎日のように顔を合わせているのに、ふとしたことで胸がキュンとなってしまう。指をグーパーさせて準備OKを伝える。
彼の優しい最初の1音が好き。空間に溶け込むように響き渡って、誰よりも甘く弾いてくれて。これを聴けるのが私だけだと充足感を得ずにはいられない。彼はまた、私の音が好きだという。あなたに勝るピアノはないのに。
互いに求めて与え合う、そんな関係。ただ、側にいてくれればいい。2人でおはようって言って始まる朝に、たまに授業中にLINEして、放課後とか休日にゲームして。仲の良い女友達にも言えないことを気負わず話せて、私が私でいられる場所。
彼の音が止まって不思議に思えば、隣に来て同じ鍵盤をなぞり始めるもんだから、自然と笑みがこぼれてしまう。もう少しだけ、このまま。
#8『高く高く』
カーテンコールで宙を舞う華は全てトップの座に君臨する彼女のため。目に涙を浮かべて感謝の言葉を口にしている。この舞台を持って彼女は引退。だから私は繰り上がりで2位になる。いつか上の2人を打ち負かしてやろうと思っていたのに。これじゃあ、勝ち逃げじゃないか。
圧倒的なオーラを放っていた彼女。これまで、どれだけの女の子が憧れ、現実に夢破れてきただろう。私は結局若さだけ?……いや、違う。歌もダンスも練習は人一倍やってきたし、裏方の仕事も覚え、舞台美術を学び、心理学の知識も活かして自然と心揺さぶる演技をするのが私。猛勉強と分析が私の武器だ。
「私ね、貴女みたいな女優になりたかったの」
いつ抜かされちゃうかヒヤヒヤしてたんだから、だなんて、隣のハリウッドミラーに立ったと思えばなんてことを。私だってそうですよ、と返してメイクを落とす。
「貴女の持ってる物、出し惜しみせずに全部使いなさい」
口紅を塗り直し、じゃあね、未来の大女優さん、とウインクして楽屋を去る彼女のなんと艷やかなことか。
2年後、書き進めていた戯曲とオリジナル曲が評価され、客席最前列の彼女から華を投げ入れられることを、私はまだ知らない。
#7『子どものように』
子供っぽいとこあって以外ー、最初は美人でクールだと思ってたけどかわいい。これでいいんだ。
小さい頃から、年下や同い年の子の面倒を見るようよく頼まれた。しっかり者ねーなんて言葉に素直に嬉しくなって、進んで人のために頑張ってた。
いつの間にか、あの子はいい子だし勉強もできて完璧よねーって。完璧、完璧。どこがよ。完璧な人には周りが怖がるから、自分から打ち解けやすくしないと人が集まらない。抜けてるところを見せて、可愛らしく。愛嬌も大事よね。
そんな生活から抜け出したくて、できるのが当たり前の学校へ進学した。ここはここでなかなかキツイ。常に向上心な性格で救われているものの、73が50になるこの世界。元生徒会長がクラスに2人いることもあるし、楽器を弾ける子なんていくらでもいる。
誰もが1回はアイデンティティが揺らぐはずだ。ここでは絶対に完璧になれない。でも、だからいい。皆がありのままの私を見てくれる。変に大人にならず振る舞える。昔好きだった物にまた興味を持ったりして、こんなに自分が子供らしかったんだと気づくことがある。これからは自分のペースで大人になるんだ。