ハンドルを握る。
上から太陽光が降ってきて、手汗が滲む。
ここのカーブはちょっときつい。両側にそびえる林の傾斜は激しく、ほぼ崖。なのでまだ「その」景色は見えないが……
カーブを抜けた瞬間、見えた!!
水平線は日光を浴びて魚の鱗のようにぎらぎらと光り、
水底の底まで見える、エメラルドグリーンの絨毯。
遠くの方に見える岩肌塗れの激しい山は、夏の景色ゆえ、
深い緑が見え、その輪郭はあいまい。
冬になると、この輪郭がもっとはっきりとする。
潮の匂いもやってきた…!
これ!!これが伊豆半島の海!!!
大味で美しく、たまに少し怖い海。
私の大好きな景色だ。また会ったね。
今年もよろしく。
まずは自分の現状をノートにまとめる。
仕事がつらい。これが出来るが、これは出来ない。
昨日と比べて、今日はこのくらい気持ちが沈んでいる……
そして、その状態をより詳細化していく。
何故仕事がつらい?何がどう出来ない?今後何をどうしたら出来るようになって、そのためには何をすれば良さそう?
……ちょっと頭を使って疲れた。
一旦喫茶店のアイスカフェオレをストローで吸い込む。
そしたら最後に、自分が「どう変わりたいのか」と、
「どうしたら変われるか」を考える。
これが、さよならを言う前のルーティン。
現状の自分に別れを告げて、よりよい状態に自分になるための、私の習慣である。
……結果は、まあぼちぼち。
変われたり、変わらなかったり、
「やっぱりそんなに変わらなくてもいいかもな、自分」…と
思ったりする。
山の天気は変わりやすい。
噂には聞いていたものの、
実際それなりの頻度で訪れてみると、これがなかなか…
今日もそう。
朝から日の光が差し、今日も真夏の灼熱地獄かと思えば、
午後になって突然の大雨。雷まで落ちてくる始末。
こんなことが今年は何度か起きている。
如何せん、最近遊びに行く場所が大体山間の地域なので、
何度かやらかされている。その変わり方も激しい。
この天候が神様の感情によるものだとしたら、
山の神、とんだじゃじゃ馬である。
私なんかは一介の観光客に過ぎないが、
こういった地域に住んでいる方々はどうやって折り合いを
つけているのだろうか。
……車を運転中、土砂降りの雨がコンクリートに跳ね返り、
車線が上手く見えない。そうこうしていたら山の深い緑色に向かって、稲光が落ちたのが見えた。
あーあ…
山が癇癪起こしながら号泣でもしてるんだろうか……
そして山を降りた途端、雲から晴れ間が覗いていた。
学生時代に比べて、太ったなあ……
自分の頬を引っ張りながら心の中で独りごつ。
洗面台の前で、そこに映る顔の角度を変えてみる。
自分の顔、
好きでも嫌いでもない。どちらかといえば好き寄り。
ただ、やっぱり私も一般大衆の美醜の価値観が刷り込まれて育ってきた一人の人間であるわけで。
痩せたいな、とかそういうことは考えるものである。
結局努力はしないのだが。
そういえば、最近見た心霊系のYoutubeで、
「幽霊は最初は生身の人間と同じ姿をしているが、
時間が経つにつれて、徐々に顔からぼやけてくる。
これは自分の身体の中で、手足は肉眼で常に目に入るが、
顔は鏡に映さない限り見ることができず、
自身の意識の中で一番記憶があやふやになりやすい部位
だからである」
……と、某人が言っていたことを思い出した。
内容の真偽はともかくとして、
確かに自分の身体の中で一番ハッキリ思い出せないのって
顔だよな、と思うなどした。
これだけ顔の善し悪しがどうこう言われてる世の中の癖に、
結局自分の体の中で一番覚えられないのは顔で、
もし本当に死んだら顔からぼけて分からなくなるとしたら、
なんか皮肉な話である。
この世の大体のものは、
熱中という名の睡眠と、飽きという名の目覚めの繰り返しだと思う。
あくまで持論。持論である。
早速始めてみた趣味も、
今度こそはと意気込んだダイエットも、
入社した当初はやる気に満ち溢れていた仕事も、
ある時突然目が覚める。ことがある。
タチが悪いのは、これが自分自身にも当てはまること。
私は趣味も仕事もぐるぐると思考を巡らせることが好きで、
何かとものを考え、言語化し、似たような嗜好の連れと言葉を交わし、自分の意見をより客観的なものに昇華させていく、という行為をよくする。
この時のトリップはとても気持ちがいい。
「こんなに考えて、言語化もできて、私ってめちゃくちゃ頭いいじゃん!」
……という熱である。
しかし突然目が覚める。
私より優れている人間の言葉を聞いた時だったり、単純な気分の問題だったり、発端は様々だが、ふとした瞬間に、
「自分より凄い人いっぱいいるわ」
という至極当たり前なことに気がつくのである。
この繰り返し。
いっそのこと目覚めなければ幸せなのだが、
きっとこの目覚めは、「無知である己を自覚すること」そのものなのだと思う。
自分そんなに大した人間じゃないわ、という気づき、
それを客観的に見つめ直して、そこからまたスタートし、
ある程度の成果を出して、また少し自分に酔う。
その繰り返し。
せめて、また目が覚めるまでに、
この酔いを楽しんでいたいものである。