この世の大体のものは、
熱中という名の睡眠と、飽きという名の目覚めの繰り返しだと思う。
あくまで持論。持論である。
早速始めてみた趣味も、
今度こそはと意気込んだダイエットも、
入社した当初はやる気に満ち溢れていた仕事も、
ある時突然目が覚める。ことがある。
タチが悪いのは、これが自分自身にも当てはまること。
私は趣味も仕事もぐるぐると思考を巡らせることが好きで、
何かとものを考え、言語化し、似たような嗜好の連れと言葉を交わし、自分の意見をより客観的なものに昇華させていく、という行為をよくする。
この時のトリップはとても気持ちがいい。
「こんなに考えて、言語化もできて、私ってめちゃくちゃ頭いいじゃん!」
……という熱である。
しかし突然目が覚める。
私より優れている人間の言葉を聞いた時だったり、単純な気分の問題だったり、発端は様々だが、ふとした瞬間に、
「自分より凄い人いっぱいいるわ」
という至極当たり前なことに気がつくのである。
この繰り返し。
いっそのこと目覚めなければ幸せなのだが、
きっとこの目覚めは、「無知である己を自覚すること」そのものなのだと思う。
自分そんなに大した人間じゃないわ、という気づき、
それを客観的に見つめ直して、そこからまたスタートし、
ある程度の成果を出して、また少し自分に酔う。
その繰り返し。
せめて、また目が覚めるまでに、
この酔いを楽しんでいたいものである。
幸い、自分が入院したことは一度もない。
病室と聞いていの一番に浮かぶのは、肺癌にかかった祖父の見舞いである。
病室、もとい病院というのは本当に白いのだな、と子供ながらに思った。夜になると暗くなった空間に非常口マークの緑の明かりだけ灯されるのだろう。
化学薬品の匂いだったのか、なんだったのかは分からないが、病院には何かの匂いがたちこめていた。
上手く言語化できないが、あそこは恐ろしい場所である。
業務内容もさることながら、あの場所にひたすら身を置いている医療従事者にはとんと頭が下がる。
友人に、医者が何人かいる。
彼らは存外あっけらかんとしており、仕事の中での人の生き死にの話など全くしない。それが本当に気にしていないのか、それとも意識して話さないようにしているのかは分からない。
いずれにせよ、すごい精神の強さだと心底思う。
あっけらかんとしているが、遠目に見ると少しぼやけた、
夏の空にぴったりの音楽を探す。で、それを聴きながら外に出る。
ほっつき歩きながら、かといって炎天下の中を歩き続けるのも辛いので、どこかのカフェでアイスコーヒーでも飲み、
あわよくばパンケーキを食べる。
化粧が落ちてきたな、と思ったらトイレに駆け込み、ちょっとだけ直してから、
なんの気なしにスマホをいじり、Youtubeを見たり、こうして文章をメモ帳アプリで書いたりしながら、
どこか面白い場所を探して時折ネットサーフィンをする。
見つけ次第、勢いに任せてその場所に行ってみる。
明日、もし晴れたらしたいこと。
別に、いつも通りである。
「○○さん、明日までにこれ作れる?」
「部長からのお達しで急遽コレやらなきゃいけなくなったんだけど、○○さんできそう?」
「○○さん、すいません、問い合わせが今来ていて……
このシステムってこの部分どうなってるんでしたっけ?」
……こういうのが本当に苦手である。
頭を使ってじっくりとものを考えるのは好きだ。仕事でもそこは変わらず。
ただ、突発的にいくつもの作業が振られ、その都度その都度優先的なものから作業をこなし、時として会話をする……
このマルチタスクが本当に苦手だ。
かといって単純作業も苦手。堪え性がなく、すぐに苦痛になってしまう。
人との交流も、質問がくるのも、自分で考えて作業をするのも好きだ。
どれに対してもそれなりに頭を使うからだ。
ただ!……ただ、時間が欲しい。
今一度熟考する時間をくれ。そしたら整理できる。
一回、バカスカ作業を振られない空間に私を置いてくれないだろうか。時間に見合った作業量なら、こちらも結果を出せるよう、それなりの努力をしよう。
無理を言ってこない、職場の同僚のほとんどいない空間。
だから私は、一人でいたい。
澄んだ瞳。
実家の猫。
散歩をしている犬。
近所の公園で遊ぶ子供たち。
推しの話をしている時の友人。
大好きなモータースポーツを見ている時のあなた。
大好きなアーティストのライブを聴いて感激するわたし。
濁った瞳。
仕事のトラブルに忙殺されてやるべき仕事も出来ず
ミスを連発し、毎日会社に行くのが憂鬱だった時のわたし。
…………。
感情の違いはあまりにも明確。
ずっと澄んだ瞳のままでいたい。