「一年前にタイムスリップしたら何したい?」
「俺やだよ。もう一回受験しなきゃじゃん」
「あー、まぁ確かにそれは可哀想か」
「そういう姉ちゃんも就活しなきゃじゃねーの?」
「あー、うん、そうだね。うん、よし。この話題はなかったことにしよう」
『1年前』
私の本棚には、好きな本が詰まっている。
好きな本には、買ったお店や当時の日常生活の思い出も記憶されている。
手に取ると、物語の内容と一緒に思い出も蘇る。
この本は、読書嫌いだった私が、クラスの好きな子と共通の話題を見つけるために頑張って読み切った。口下手すぎて結局何も話せなかったけど、ここから読書の魅力に取り憑かれたのだ。
この本を買った時、お気に入りの本屋の店主さんに話しかけられてびっくりした。レトロでノスタルジックな雰囲気に包まれた店内で、本を選ぶのが楽しみだった。もう、閉店してしまったけど。
この本は書店でバイトしていた頃、お客さんがレジに持ってきて、ジャケットイラストのあまりの美しさに一目惚れしたんだった。スーツを着た三十代くらいの男性だったのが意外だった。閉店が近づいてお客さんが減った隙に新刊の棚に近づいて、血眼になって探したっけ。
この本も、あの本も。手に取ると一つ一つ思い出が鮮明に蘇る。どれも未だにクスッとできたり、懐かしい気持ちになれる。とても大切な本の思い出だ。
『好きな本』
天気予報では晴れと言われていたが、今見上げている空は雲がたくさん広がっている。中学生の頃の古い記憶の中で、眼鏡に白衣姿のおじいちゃん先生が言っていた。
「雲が八割以上、空を埋めているとくもりとなりますぅー。反対に八割以下だと晴れ予報、なんですよねぇー。今日は雲が大変多いので勘違いしそうになりますが、雲と青空の割合がぁー、目測でぇー、まぁー、だいたい半々くらいなので、この新聞、あっ、今日の朝刊なんですが、これに載っている晴れ予報は正しいんですよぉー」
よく分からないところで語尾を伸ばすその先生は、それでも優しくて理解のある人だった。物事をハッキリとさせたくない、まずいことになったら逃げて何事もなく振る舞いたい。そんなズルしたい気持ちを、よく理解して、でも諭して正しい選択肢へ導いてくれる先生だった。生徒から人気の高い先生だった。
「あのぉー、話聞いてた?」
中学生の頃を思い出して感傷に浸っていたら、目の前に座るタケルに話しかけられた。私はカフェの窓から空を眺めていた目線をタケルに戻す。テーブルに両肘をついて、アイスコーヒーのストローを意味もなくぐるぐる回すその仕草が以前まで可愛かった。可愛いと思っていたのに、今は無性にイライラしてしまう。
私はすっかり大人になってしまった。あの頃、曖昧な答えでも良しとしていた自分はいない。白か黒かハッキリさせたいし、曖昧な答えになるならなぜそうなるのか追求しないと気が済まなくなってきた。
私は背中と背もたれの間に置いていたハンドバッグを、膝の上に移動させた。テーブルの上に置いていたスマホを手に取る。画面をチラッと見て、ボイスレコーダーがしっかり作動していることを確認した。
「ちょっと、今、俺が真剣に話してんだけど」
「え? これ? 今までのアンタの真似だけど」
ムッとした表情を浮かべたタケルに、表情一つ変えずに私は言った。タケルはぐっと口を強く結んだ。
「話の焦点が分からなかった。私と付き合っておきながら、他の女性にちょっかいをかけて。それも複数人と関係を持ってた。その中の一人に既婚者の女性がいて、その人の旦那が激怒してその奥さんとアンタに慰謝料を請求してるってことは理解した」
「なんだ、ちゃんと聞いてるじゃん」
「でもそれが私にどう関係しているの?」
私がそう言い放つとタケルはポカンと口を開いた。
「だって私たち、たった今、別れたじゃない」
タケルの目がこぼれ落ちそうなほど見開かれた。
私の口はまだ止まらない。
「仮に付き合っていても、だから何? って話。アンタが支払わなきゃいけない慰謝料を、私が肩代わりするべき根拠がどこにあるの?
それとも何。私なら泣き落としでどうにかなると思ってるの? そんな甘ちゃんだと思われてたの? 三年も付き合えば人となりは分かるはずでしょう。私のどこを見てそう決めつけたの? マジどの女と勘違いしてんの気持ち悪い」
開いた口が塞がらないらしい。でも言いたいことがあるのか、タケルの口がぱくっと動く。驚きのあまり声が出ないようだが。
私はテーブルの隅に置いてある伝票を手に取って立ち上がる。ハンドバッグの中にスマホをしまい、最後にもう一度タケルを見下ろした。タケルは立ち上がった私を見ることなく、ただ呆然と座っていた。
「謝罪の一つもないのね。いらないけど」
私が言うや否やタケルはハッとして私を見上げた。
「ほんとごめん、なさい、ミカ」
目を潤ませてタケルが言った。私はにっこりと笑顔を浮かべた。
「私、アリサだから。その謝罪は受け取れないわ」
トドメを刺せたようで、固まって動かないタケルを一瞥して私はカフェを後にした。
外は青空に白い雲が浮かんでいる。遠くの方にある雲は黒っぽい。日差しが出て暑い空気なのに、冷たい風が吹いている。もうすぐひと雨、来るのかもしれない。
私は駅までの道を歩く。軽やかに足が動く。不安定な空の下、私の心は快晴だった。
『あいまいな空』
「アジサイって細かく分けると二〇〇〇種あんねん」
「マジで? 白超えたじゃん」
『あじさい』
五歳のころ。
「ピーマンとなすはきらい。あまいものは、すき!」
高校生の頃。
「野菜は〜できれば避けたいかな、うん。あと辛いものが苦手。コーヒー飲めない。チョコと納豆が好きかな」
現在。
「野菜? シャキシャキ感が残った玉ねぎは嫌いかな、生は論外。ネギも無理。コーヒーもだけどお酒が一滴も飲めない。一口飲んだだけで眠くなって気持ち悪くなって頭が痛くなる。
……甘いもの好きか? まぁ好きだけど量が食べられないかな。一切れ、一皿で満足。あぁ、でも生クリームはちょっと苦手。冷蔵庫で一晩寝かせたショートケーキは好きだけど。
うーん、そうだな……。
五位、お好み焼きとかたこ焼きとか。
四位、パン。
三位、麺類。
二位、おもち。
一位、米。
そう、炭水化物が好き!」
『好き嫌い』