2.タイムマシーン
──「いらっしゃいませェ!」
ワタシのお気に入りの喫茶店・タイムマシーン。気さくなマスターと和やかな雰囲気、そして何より昔を思い出す“懐かしいメニュー”がたまらないお店だ。
「お、久しぶりですねェお嬢さん。僕的には3年ぶりだ」
「ワタシは2ヶ月ぶりですよ、マスター」
今回もマスターが明るく出迎えてくれた。朗らかに笑っているが、3年と2ヶ月じゃかなりの差だ…本人が気にしていないようなので敢えて触れないけど。
軽く世間話をしながらメニューに目を通す。『誰にとっても懐かしい一品を』をモットーに選び抜かれた品々は、どれもお手頃な価格で、なおかつそれに見合わぬ美味しさだった。
「ご注文はお決まりですか?」
「ナポリタンとタピオカミルクティーを。あと、デザートにナタデココ入りヨーグルトもお願いします」
「わァお、今回も見事にバラバラ。すぐにお出ししますから、しばらくお待ちください」
前に聞いてみたけれど、様々な年代のメニューを一気に食べたがる人は珍しいらしい。ワタシとしては、こういう時こそ普段食べないものを食べるべきだと思うのだけど。というか、たった数十年は『様々な年代』と言えるのか?
「はい、お待たせ。ご注文の品です」
「ありがとうございます」
考え事をしているうちに料理が並ぶ。どれもこれも、美味そうで胸が躍った。口いっぱいにそれらを詰め込んで、幸せを噛み締める。最高だとしか言いようがない。
着々と食べ進めていたが、最初の話題がどうしても気になってきたのでやっぱり聞いてみることにした。
「マスター。もしかしてですけど、時空が歪んでいるんじゃないですか?」
「あ、やっぱりお嬢さんもそう思う?実は最近、狙った時代に顔を出せなくなっちゃって。いや困ったなァ、予約入っちゃってる人もいるのに」
心底困ったという顔でそうぼやくマスター。“多時空出店”の店は、こういう時に大変そうだと常々思う。
「ワタシでよかったら、時空移動用の調整器具、直しましょうか?正直、うまくいくかはほぼ運ですけど」
「いいのかい?!いやァ、やってもらえるだけでも助かるよ。本場の麻辣湯おまけしちゃう!」
思わぬ収穫に、つい顔が緩んだ。だって仕方ない。2X26年の人間は内蔵されたAIチップの行使にちょっとだけエネルギーを使うのだ。ほんとに、ちょっとだけ。完全栄養食なるものがあるとしても、食べる時はガッツリ食べないと。
ここは喫茶店・タイムマシーン。気さくなマスターと和やかな雰囲気、そして本場の時代から仕入れた食材で古代のレシピを完全再現し、どこかの時空に気まぐれに出現する。まさに、この世の叡智の結晶!……のようなお店である。
1.海の底
「おれね、海に沈みたいんだ。
海に沈んで、そんでしにたい」
確かそれは、宅飲みの終わりがけ。月に一,二回会うぐらいの友人が、真っ赤な顔でそう言った。あまりに驚いて、持っていたグラスを危うく落としそうになった。呂律は回っていなかったが、目が異様に据わっている。よくある酔っ払いのそれとは違い、どうも僕をいないものとした独白のようだった。
「たぶん、今の海ってのはあんまり綺麗じゃ
ないんだろうな。ゴミだらけで、なんならちょっと
濁ってそう。でもおれは、底にしずんで、波に
流れることもなくずっと滞りたい。たのしくも
なんともないだろうけどさ。まぁそれが無理でも、
海のもくずぐらいにはなりたいんだよね」
僕は何も返さなかった。いや、返せなかったに近い。何を言ってやるのが正解か分からなくて、ずっと黙っていた。
しばらく呑んだ後、フラフラの彼に水を飲ませて、タクシーに乗せてやった。その頃には少し酔いが覚めてきたのか、「今日は楽しかったよ」といつもと同じ通りに言われた。だから「僕もだよ」と返してやった。満足そうに笑って、彼は帰って行った。
多分、それから3日後。いや4日後だったかな。彼の遺体が見つかった事を、テレビのニュースで知った。彼の家の近くにある公園の、後ろに広がる林で首を吊っていたそうだ。僕も行ったことがあるから、なんとなく想像できる。ちなみに第一発見者は、犬の散歩をしていた彼の知り合いのマダムらしい。
『優しくて明るい人でした。なのに、どうして。
どうしてこんなことになってしまったのか…』
彼の性格や不可解な現場の状況により事件性があると見做され、彼の死は少し大きめに取り上げられた。全国ネットの番組で報道される毎日。僕も彼の友人として、人生初のインタビューを受けてしまった。けれど彼の口からあんな話を聞いた後だと、自殺でもおかしくないんじゃないかと思ってしまう自分がいる。でもそれなら、海に入った方が自然だ。やっぱり彼は殺されたのか。考えれば考えるほど、分からなくなっていく。
事件があまり話題に上がらなくなった頃、彼のお葬式に呼ばれた。かなり時間が経っていたから、とっくの昔に終わっていると思っていた。
実際参加してみると、その謎はすぐに解けた。僕は知らなかったが、彼の家は少し特殊な宗教を信仰していて、だいたい半年経った頃に葬式を執り行うらしい。現代の日本じゃ考えられないけれど、とりあえずそういうものだと受け入れた。受け入れないと、怖くて参列できそうになかった。
火葬まで終わった後、随分小さくなった彼を分けてもらった。なんでも、僕は彼の一番の親友だから、と彼の母が言っていた。僕はそう思っていなかったけれど、それを知れたのはなんとなく嬉しくて、泣き続ける彼女を思わず抱きしめた。次からは“親友”を名乗れると思うと少しだけ心が浮ついた。不謹慎な自覚はあった。
休みの日、僕は鉄製の箱を買った。ちょうど“彼”が入るくらいのちんまりとした箱だ。彼を入れた後、ついでに買った鉄製の鎖も巻きつけた。どちらもかなり安くて、良い買い物をしたと思った。最初より重くなった箱を持って、僕は夜の海へと向かった。
車から降りて、潮風に吹かれながら海へと歩みを進める。服が濡れるのは不思議と気にならなかった。
胸の辺りまで水に浸かった僕は、そっと箱から手を離した。思惑通り彼はゆっくりと、しかし確実に海の底へと沈んでゆく。
暗くてよく見えなかったけれど、箱が着地して砂がほんのりと巻き上がったのはわかった。理想の死に様には程遠かったけれど、僕は彼の夢を叶えられてホッとしていた。
海から上がった僕の指は、ふやけてシワシワになっていた。もう片方の手で撫でようとしたけどこっちも同じで、あまり意味がなかった。
びしょ濡れのまま車に乗るわけにもいかず、しばらく浜辺でぼーっとしていた。すると、今度はなぜだか泣けてきてしまった。思えば、彼が死んで初めて泣いたのはこの時かもしれない。拭っても拭っても、止まってはくれなかった。
───僕は今、何をしたんだろう。
親友の骨を、沈めた?海に?どうして。彼の願いだったから。だから僕は。きみを、海の、藻屑に……したかった?
…正直そこからの記憶はほとんどない。僕は錯乱していて、気がつくと朝になっていた。乾いていたはずの頭までぐっしょり濡らして、僕は海の中で必死に彼を探していた。
でもどんなに探しても見つけられなかった。外れてしまったのであろう鎖だけは見つけたけど、それは鉄だと思えないぐらい軽かった。それこそ、水に流されても納得できるぐらいには。恐らく『鉄製』だなんて嘘だったんだ。買った時は確かに重く感じたのに。僕の感覚は、きっとおかしかったのだと思う。
結局僕は、親友の骨を捨てただけの大馬鹿者になってしまった。そのうちあの骨は、流れに流れて流されて、真っ白い砂になるんだろう。崖か何かに留まらない限り、動き回る砂になってしまうんだろう。悲しいかな、藻屑がギリギリ及第点だ。彼の本当の願いを、僕は叶えてやれなかった。
────「で、なんでそれを私に言ったの?」
彼とは別の、月に一,二回会うぐらいの友人が、困惑した顔で僕に問いかけた。確かになんでだろう。ふと思い出して、全部話してしまった。
理由か……強いて言うなら、それは多分、
「海の藻屑ってやつになりたいからかな」