あなたの視線の先に私はいない。
視線を追いかけてる私が、一番わかってる。
世界が終わる瞬間に、
君といられたらどんなに幸せだろう
最後まで、置いてくこともおいていかれることもなく
二人で手を繋いで、隣に並んで
でもそんな話をしながら、二人で幸せに生きていくのが
1番しあわせなのかもしれない
後悔がない人生にしたいけれど、後悔がない人生なんてなくて。人は多かれ少なかれ悔やんでいることがあるものだと思う。誰だって細々としたちょっとした後悔の中に埋もれてとびきり苦く、心がべこべこに凹んでしまいそうな触れることを躊躇うくらいの後悔だって抱えている。
後の糧になるような後悔もあれば、ただ傷としてそこにあるような後悔もある。
人生という航海に後悔は不可欠で。ガラクタみたいで抱えていきたくはない荷物だけど、なにかに使えるかもしれなくて。どうしようもないときに隙間を塞ぐ材料として使えたり、非常食としてかじったり嵐のときに身を守る縄になるかもしれない。そう思うと後悔が詰まった箱を手放すこともできなくて。
でも無造作に後悔が詰まった箱に手を入れれば、鋭く尖った気持ちに傷をつけらることもあって。
それでもみんなそんな荷物を抱えてそれぞれの船で足掻いてる。
やり場のない後悔の詰まった箱を抱えて前へ進む。
推しが好きだ。
推しが頑張っているから、私も頑張ろうって今日も思える。
何もかも嫌になってた時にちょっとした切っ掛けで推しに出会った。
運命とかそういうのではなく、ただただ、偶然。
たまたまあの日私は疲れていて、たまたま手元にいつもよりもお金があって、なんとなく衝動買いをした先に出会いがあった。
ガチ恋とかでもないし、全力で追いかけてる訳でもない。
ただなんとなく推しが頑張ってるなら、私ももう少しだけ頑張ってみようと思える。
そんな日々をあなたはくれた。
だから届くはずないってわかってるけど、ありがとうと、大好きと、応援と色んな思いを込めてあなたに愛を叫ぶよ。
ふと、どのくらい前からモンシロチョウを見てないのかと思った。子供の頃は春によく追いかけた、白くてひらひらした蝶々。柔らかく光を反射する白。
そう気になっていつ見たかを思い出そうとしても、子供の頃ならまだしも今となっては蝶々なんてわざわざじっくり見るわけでもないし、見たとしても元々がそんなに興味がないのだからそんなことなんて3日もしないうちに忘れてしまうのだろう。
いや、朝見かけたら夜には忘れているかもしれない。
ちょっとした出先で見かけても、背景のようなものでそんなのいちいち認識もしない。
それなのに、ふと気になってしまったらなんとなくモンシロチョウを探したくなってしまう。
でもそんなときに少しだけ気をつけて外に出ても収穫ゼロ、そもそも普段からこの辺にいたのか、この時期にいるのかなんて全然わからない。春だったような気がするけど、実は違ったのかもしれないし、と。興味がないってそんなもの。
少しだけがっかりした気持ちでふと窓の外に目をやれば、光に羽を透かせてひらひらと舞うように横切る白い蝶。
ああ、こんなところにいたんだ。
何だやっぱり春だったんだという気持ちで見送る。
なんだか見落としていた春を見つけた気がした。