名前は親からの最初の誕生日プレゼント
いつ、どこでだったか忘れたが誰かが言った言葉だ
キラキラネームだろうがしわしわネームだろうが確かに子供を想って付ける
小学生の時だったか中学生の時だったか忘れたが母親に自分の名前の由来を聞いた事があった
自分の名前の由来は●のように美しく育って欲しいっと想いを込めたっと言った
………すまないが伏せ字を使わせてもらった
知られてもいいが念の為にな
まぁ、よくあるように漢字に想いを込めてもらったのだ
おかげで友達とかから太っているが顔は整っているから痩せれば…っとお墨付きをもらうほどである
モデルやアイドル見たいに美しくしくとは違うが一般的に比較的には整っている部類に成長した
高校生の時に親に自分の名前候補を聞いてみたことがあった
いくつかの候補から選ばれるたであろう決めてを聞いてみたくなったのだ
結果から言えば一つだけあった
■▲っと言う名前だ
伏せ字の理由は今から説明する
父親と父方の祖母の名前から1文字づつもらい■▲にしようっと決めていたらしい
■▲はよくある漢字で読みで別に辞める必要もないように名前だ
なぜ辞めたかと言うとちょうど名前を決める時にあるニュースが流れた
サリン事件に関わった人が捕まったっというニュースだ
関わったっと言ってもすぐに忘れ去られて教科書や将来テレビで放送されないぐらいの立場の人だ
その人の名前こそ漢字も読みも同じく■▲だったのだ
同じだからといって虐められることはない
だが知ってしまった以上は、聞いてしまった以上はこの■▲には出来ないっとゆうことになったみたいだった
この話を聞いて衝撃だった
忘れ去られ■▲っという名前で虐められる事は無いっと知っていても確かに自分と犯罪者、しかもサリン事件の犯罪者と同じ名前だったとしたらすごく気分が悪い
名前の話を聞いて今の名前でホッとしたのを今でも覚えている
名前は親からの最初の誕生日プレゼント
本当にその通りだと思う
たまたまニュースで見ただけ、たまたまその名前だっただけ
それ以上でもそれ以下でもない
本当に偶然に知ってしまった
それで今の名前になった
昔は嫌いだった名前が今はすごく好きだ
親には言わない
恥ずかしいから
子供ができた時は意味から考えて名付けたいと思っている
………ただし■▲って名前は知ったからには付けたくないかな
さて、毎年恒例の自己紹介タイム
苦手だけど名前は堂々と!
「私の名前は…」
つい人の粗を探してしまう
例えば寝癖、服装の乱れ、貧乏ゆすりなど…
まるで人のふり見て我がふり直せみたく
でも実際は自分はそんな人よりしっかりしているっと思い込む
寝癖はないし服も乱れてないし貧乏ゆすりもしていない
そんな自分はあの人達より上なのだっと
けしてあの人のようにはならないっと自分をなおす
テレビでは差別を無くそう!っとデモや呼びかけなどが流れる
綺麗事だと思う
差別なんて無くなるはずないっと思うから
だってあの人は自分より劣ってる
あの人は自分よりはるか下だ
あの人みたく失敗せず私は完璧
あの人とは違い痩せてる自分
どこに差別がないなんて思うのだろう?
みんな、周りは自分より下だって思っているのに
差別が無くなることはない
日本で差別がないのは心で思ってるだけだから
表にだして「お前は自分より劣ってる」って言わないだけ
差別は無くならない
出来るのは表に出さないことだけ
今日も視線の先で人の粗を見つける
私だけ
なんで私だけ
お母さんもお兄ちゃんも全然理解してくれない。
何で私だけ?
どうして私だけ?
何で男子に悪口を集団で言われなきゃいけない?
どうして女子にクスクスっと笑われなきゃいけない?
何で?
どうして?
当時はずっとそう思っていた。
別に全国的に、世界的に、見ても私だけじゃないのに。
悲劇の主人公とか悲劇のヒロインとかになりたかったわけじゃない。
ただ、他にブスな人がいて醜いやつがいるって思ってただけ。
お前らの方がブスで醜い!
って思って過ごして自分の傷ついた心は知らんぷり。
でも当時から10年程すぎてみれば知らんぷりした心の傷は当時のままで、私だけじゃないっと理解しても気持ちはいつも私だけ。
死にたいと思った当時から死ねずに生きている。
自殺した子のニュースを見る度に死ねなかった臆病者って自分を嘲笑う。
友達は生きる勇気があるって言ってくれるけど自分は勇気があったら死ねるのだっと思う。
今日も私は生きる。
明日も、明後日も、これからも。
生きたい人が死んで死にたい人が生きる理不尽な世界で。
今日も傷ついた心は知らんぷり。
何で私だけ………
1番古い記憶はおじいちゃんのお葬式だ。
まだ、2歳の時の出来事。
覚えているのは日常とは違う雰囲気のせいだと思う。
次に覚えているのは田舎のおばあちゃんの家で見た星空。
普段の家からでは見られない綺麗な星空だった。
次はひいおばあちゃんの言葉。
「私は死んだ後にお金をくれる人でもいいから覚えておいて欲しいんだ。だからあげるんだ。」
小学生の時だったが印象に残った。
そんなひいおばあちゃんも数年前に102歳で亡くなった。
コロナの時期だったが普通に亡くなった。
このご時世では珍しくボケずに数分前には施設のスタッフと話していたらしい。
その次は小学校の修学旅行。
広島だった。
周りの学校は東京に行っていたのに。
遠い記憶をあげていったが実際は24年程しか生きていない人間だ。
テレビを見て昔の映像とかが流れて親と会話すると本当に遠い記憶っと言うのは親の年齢になってから思い出す記憶のことなんだと思う。
でも、きっと生きた分だけ今の記憶も遠い記憶になる。
今、思い出す遠い記憶はどんなに生きてもいつになっても遠い日の思い出で記憶のままだ。
絶対に。
眩しい……
なんて事のない平凡な日常
いつも通りの日常
飽き飽きしている日常
そんな日常にちょっとした刺激が欲しくて下を向いている頭を上にあげた
なんていい事を言ったって感じにしてみたがただの気まぐれだ
昔は雲を眺めてるのが好きだった
日ごと、時間ごとに変わる雲の形や流れを見ているのが何となく好きだった
別になんてことは無い
授業で習った雲を見ては雨が降りそうとか季節の雲だっと親に話していた
ずっと下を見ていたせいかはたまた目まぐるしい日常に押しつぶされていたのか久しぶりに見た空は眩しかった
もうすぐで梅雨があける
これからさらに眩しくなると思うとめまいがしそうだった
昔はこんな空を見てもなんとも思わなかったのに思うようになるってことは成長したのか心が汚れてしまったのか、はたまた心が疲れてしまったのか
今の自分はそれすらも分からない
でも、少しだけ心の中の何かが変わった
ほんの少しだけ気持ちが変わった
下げた頭は下ではなく前を見ていた
子供たちが無邪気に走り回っている
「眩しいなぁ…」