私だけ
なんで私だけ
お母さんもお兄ちゃんも全然理解してくれない。
何で私だけ?
どうして私だけ?
何で男子に悪口を集団で言われなきゃいけない?
どうして女子にクスクスっと笑われなきゃいけない?
何で?
どうして?
当時はずっとそう思っていた。
別に全国的に、世界的に、見ても私だけじゃないのに。
悲劇の主人公とか悲劇のヒロインとかになりたかったわけじゃない。
ただ、他にブスな人がいて醜いやつがいるって思ってただけ。
お前らの方がブスで醜い!
って思って過ごして自分の傷ついた心は知らんぷり。
でも当時から10年程すぎてみれば知らんぷりした心の傷は当時のままで、私だけじゃないっと理解しても気持ちはいつも私だけ。
死にたいと思った当時から死ねずに生きている。
自殺した子のニュースを見る度に死ねなかった臆病者って自分を嘲笑う。
友達は生きる勇気があるって言ってくれるけど自分は勇気があったら死ねるのだっと思う。
今日も私は生きる。
明日も、明後日も、これからも。
生きたい人が死んで死にたい人が生きる理不尽な世界で。
今日も傷ついた心は知らんぷり。
何で私だけ………
1番古い記憶はおじいちゃんのお葬式だ。
まだ、2歳の時の出来事。
覚えているのは日常とは違う雰囲気のせいだと思う。
次に覚えているのは田舎のおばあちゃんの家で見た星空。
普段の家からでは見られない綺麗な星空だった。
次はひいおばあちゃんの言葉。
「私は死んだ後にお金をくれる人でもいいから覚えておいて欲しいんだ。だからあげるんだ。」
小学生の時だったが印象に残った。
そんなひいおばあちゃんも数年前に102歳で亡くなった。
コロナの時期だったが普通に亡くなった。
このご時世では珍しくボケずに数分前には施設のスタッフと話していたらしい。
その次は小学校の修学旅行。
広島だった。
周りの学校は東京に行っていたのに。
遠い記憶をあげていったが実際は24年程しか生きていない人間だ。
テレビを見て昔の映像とかが流れて親と会話すると本当に遠い記憶っと言うのは親の年齢になってから思い出す記憶のことなんだと思う。
でも、きっと生きた分だけ今の記憶も遠い記憶になる。
今、思い出す遠い記憶はどんなに生きてもいつになっても遠い日の思い出で記憶のままだ。
絶対に。
眩しい……
なんて事のない平凡な日常
いつも通りの日常
飽き飽きしている日常
そんな日常にちょっとした刺激が欲しくて下を向いている頭を上にあげた
なんていい事を言ったって感じにしてみたがただの気まぐれだ
昔は雲を眺めてるのが好きだった
日ごと、時間ごとに変わる雲の形や流れを見ているのが何となく好きだった
別になんてことは無い
授業で習った雲を見ては雨が降りそうとか季節の雲だっと親に話していた
ずっと下を見ていたせいかはたまた目まぐるしい日常に押しつぶされていたのか久しぶりに見た空は眩しかった
もうすぐで梅雨があける
これからさらに眩しくなると思うとめまいがしそうだった
昔はこんな空を見てもなんとも思わなかったのに思うようになるってことは成長したのか心が汚れてしまったのか、はたまた心が疲れてしまったのか
今の自分はそれすらも分からない
でも、少しだけ心の中の何かが変わった
ほんの少しだけ気持ちが変わった
下げた頭は下ではなく前を見ていた
子供たちが無邪気に走り回っている
「眩しいなぁ…」
終わりにしよう。
大丈夫、やらなくても前を向ける。
大丈夫。
私は決めた。
もうしないと決意をした。
私は自分が嫌いだった。
気がついた時は幼稚園の時。
幼なじみに言われた言葉から。
そのまま自分が嫌いになり中学の時には自殺のことを考えるようになった。
社会に出で頑張ったがダメだった。
自分が嫌で嫌いで苦しくなって掻きむしったりした。
痛みがあると血が流れると安心した。
心が軽くなった。
自傷は罰なのだ。
出来ない自分が悪くて上手く出来ない自分が悪い。
罰は受けないといけない。
私は周りに迷惑をかけた罰を受けなくてはいけなかった。
でもそれもしなくて良くなる。
良くなった。
認めてくれる人ができた。
頑張りを見てくれる人ができた。
たまには自傷しちゃうかもしれないけどきっと…絶対に大丈夫。
だから、終わりにしよう。
前を向いて歩こう。
大丈夫。
終わりにしよう。