「春風とともに」
どれみちゃんとともに歳をとる
あの頃子どもだった私たちも、今はすっかり大人なのである
どれみ16が発売されたとき、どれみちゃんも高校生になったのかと驚いた。言われてみれば彼女たちは毎年進級していた気がする
今は20くらいらしい。読んではいないが
読んではいないが、皆なんだか苦労しているらしいと聞きかじり胸が痛い
思い起こせば当時のあいちゃん家もなかなかヘビーだったし、デリケートなテーマの回もそれなりにあった。続編ともなれば幼児への配慮もしなくて良くなりどれみ達の年齢に合ったトラブルに見舞われるのは想像に難くなかった
私としては誰かのために頑張ってしまうどれみ達には心やすらかに幸せに暮らしてほしい
これ以上ハードなトラブルに巻き込まれないでほしい
物語の幕を引くことでそれが叶うならそうしてほしいとまで思う。誰が話を考えてるんだ、あれは
「涙」
私は表現としては好きなのだが
「ジブリの涙は片栗粉混ぜた液体みたいで苦手」
と言われた事がある
あれから、ジブリの涙を見ると片栗粉を思い出す呪いにかかっている
「小さな幸せ」
いつも買うものが少し安かったとき
頑張ったあとに食べる甘いもの
かわいい子ども服を買ったとき
ご飯が美味しいとき
子どものできる事が増えたとき
気温が過ごしやすい暖かさのとき
「春爛漫」
出産が終わり、入院中に「桜が咲いていたので、良かったら窓から見てみてください」と看護師さんに言われ
身体中の痛みを感じながら遠くの桜を窓から眺めた事をこの時期になると思い出す
今年は子どもの誕生日より桜が咲くのが早い
つまり今年は桜の開花が早い。恐らく
「記憶」
「私もやりたいな」
「お前はくるな!」
そんな会話を目の前でされ、私は後でこっそりと「あいつの事は特に気にしなくていいから好きなようにやったらいいよ。私はあなたと一緒にするのは嫌ではないよ」と伝えた
はずだった
友人は結局やりたい事には参加できなかった。悩んでいるうちに定員が埋まってしまったのだ。それはしょうがない事だと思う
その後の友人との関係はギスギスし、最終的には結構派手に揉めた
一悶着あり、事態は収束。一件落着
友人が落ち着いたところで昔はこんな事もあったなあと話をすると
「あの時あいつと一緒になって私に来るなって言ってたよね」と言われた
そんな筈はない。正直混乱した
第三者にも確認をとったが言ってないだろうと言ってもらえてホッとする
それから私は人の記憶が信じきれない。自分の記憶も例外ではない
全く信じないというのも精神衛生上良くないので、混ざったり、すり替わったり、忘れたり、勘違いだったり、きっと現実と多少の齟齬があるだろうという前提で話を聞いている。自分が話すときもそうだ
ここに書いてある思い出も大なり小なり現実との齟齬があるのだろう