「一輪の花」
昔、フリーゲームのIbをプレイした
ホラーゲームは自分一人でプレイするのが怖いので実況か皆でわいわいプレイ派だったのだがIbはどうしてもプレイしてみたく、いそいそとダウンロードした
絵画の世界に入り込み、無個性に追いかけられヒイヒイ言っていたら背後から
「お姉ちゃん。音楽が怖いからイヤホンでやって」
妹からの無情な要求に、私の心は折れそうだ。お姉ちゃんだって怖いんだぞ!と涙目になりながらイヤホンを装着し続きをプレイした
結局ビビり過ぎて序盤からあまり進んでいない
そんな時声をかけてきたのは弟だ
「そのゲーム俺もしていいの?」
是非どうぞ。セーブデータは好きなだけ作れる
弟はゲームが上手いのもありサクサクと終わらせてしまった
その後、私は普通にプレイした。弟がプレイしているときに見学していた為に多少先の予測ができるようになったからだ
必要以上にビビらなくなり、エンディングも全て見る事ができた。要は慣れである
その後はフリーホラーゲームそのものに耐性ができ、ドット絵であれば初見でもプレイできるようになった。めでたし
「君と見た虹」
虹のふもとには宝物が埋まっているらしいよ
そんな噂が流れていた頃、下校中に偶然虹のふもとを見つけた
「すごい!初めて見た!」「あそこに宝物が埋まってるこもしれないって事!?」「見に行っちゃう〜?」
皆でキャッキャと談笑しながら、結局遠くから眺めて帰った
歩いてすぐそこという位置ではあったが、会社らしき建物は建っているし明らかに他人の土地だった
掘るにしても家が建つようなしっかりした土地を子どもの素手では無理だろう。流石にそれくらい分かる
今でもその会社の近くを通ると、あの日見た虹を思い出す
記憶そのものが宝物になり、あの土地を見かける事で記憶を掘り起こす現象が起きている
「ひそかな想い」
人生で初めて推しができたのは恐らく10にも満たない小学生のときだったと思う
推しなんていう言葉もない当時、テレビで放映されていた女児向けアニメのキラキラしていて一生懸命で可愛い私は無敵なのとばかりに笑うあの子が好きだった。同級生と何度もごっこ遊びをした
可愛くて自信たっぷりな彼女に憧れていたのだ。当時の私はきっとあんな風になりたかった
中学生になり、新しく出来た推しに恋をする
といっても顔がいい!かっこいい!と言った感じで推しの域は出ていない。アイドル感覚である
性格というより顔が好きであった。今だに好きだ
その後は彼を超える好みの顔のキャラクターに出会う事もなく、ある時は性格が、またある時はギャップが刺さり、またまたある時は偶然が重なり運命を感じてみたりと理由は様々だったが皆一様に憧れを感じていた
しかしああなりたいと願う事はなく、応援する立場だった
20を超えて、新しく好きになる推しは皆だいたい年下になる
この辺りから憧れより庇護欲が勝つ。美味しいものを腹いっぱい食べて欲しい。いつまでも笑顔でいて欲しい。幸せになって欲しい
おばちゃんはいつでもアナタの味方よ!
この辺りの心情の変化を興味深いなあと思う今日この頃である
「時間よ止まれ」
もしも時間を止められるのなら
8時間くらい時を止めてその時間を睡眠時間に充てたい
「ありがとう」
言葉や態度で感謝を伝えるのはとても大事だ
感謝されたくてやる訳ではないけれど
全く感謝がなく、寧ろやってもらって当然の態度をされると「この人の為にしてあげたい!」という気持ちが冷める
色々と世話を焼いていた時期は今思い出せばモラハラ被害のオンパレード。黒歴史である
片方がすり減る関係は健全ではない