「私の日記帳」
最初はキャンパスノートだった
中学生の頃、キャンパスノート片側1ページに絵と文字をいっぱいに書いて1日を終えていた
しかしそれも高校生になり限界がくる
日記を負担に感じ始めた。読み返すとたまに呪詛のように愚痴を綴ってある日もあり読んでて辟易した。愚痴はもう書かない…
中学の日記は黒歴史となり、畑のゴミ焼き場で燃やした
でも日記は続けたい私は手帳の後半にあるページに目をつける。俗に言う3行日記というやつだが、私のは4〜5行くらいだ
その習慣が今までずっと続いている。書けなかった日は気合いで思い出して書いているので、毎日必ずという訳でもないが楽しく続いている
「向かい合わせ」
小学生のときの図工の時間、友達とペアを組み似顔絵を描こう!という授業があったそうだ
先生からは漫画絵を描かずリアルに描くよう指示があり、その時鼻の形も指定があったらしい
「小学生がよく描くニンニクみたいな鼻を描けって言われて描いても不細工にしかならんし、友達もキレるし理不尽」というエピソードを聞いた
絵を学んできた身として思うのは、そもそも顔に輪郭線など存在せず、ほぼ面でできているので線で描いてやろうというのが無謀である。とくに鼻なんか線で描けないから漫画だと“く”みたいな感じになってるんじゃないかと思う
化粧をするときも目や唇には線を描いても鼻には普通陰影しかつけないだろう。絵も同じである
恐らく、ニンニク鼻を描いた時点で小学生がよく描く絵にしかならないので描かれる側も覚悟しておいた方がいい
「やるせない気持ち」
4ヶ月以上に渡る我が子の中耳炎の治療が晴れて終わりを迎えた
通い始めてすぐは3日に一度のペースで通い、徐々に一週間後、二週間後と間隔があいて
治療期間中に一、二度風邪をひき、またズルズル治療期間が伸び、苦節4ヶ月半。ようやくこの病院通いが最良の形で終わったのだ。本当に長かった
元々良くない流れはあったのだ
少し目を離した隙に怪我をし、足の爪が真っ黒に内出血した我が子。慌てて整形外科へ駆け込み、骨に異常はないので様子見になっていた
これはそのうち爪がポロっと取れるやつだという意見は聞いていた。でも2日で取れるとは思わないじゃないか。こんなに血が止まらないなんて、どうしたら良いかもわからない
夜だったので救急外来へ駆け込んだ。奇しくもその日は耳鼻科を卒業した翌日で…
足を包帯でぐるぐる巻きにされた我が子と共に「明後日またココに来て下さい」と担当医に告げられ、この子の戦い(病院通い)はまだまだ続くのね…とやるせない気持ちになった
「海へ」
海が近づくと空が開ける
生まれも育ちも山育ち。どこにいても山が見える環境で育った私には、山が見えない景色は新鮮なのだ
「裏返し」
とある佳き日に、私たち夫婦は無事結婚式を迎えた
親族と友人を招いての小規模の結婚式で、当日はお祝いムードに包まれ素敵な一日であった
式が終わり、披露宴に移るタイミングで妹に声をかけられた
「○○さん、服からタグが出てたんだけどボレロを裏返しで着てない?」
○○さんとはうっかり者の幼馴染である。アイツならやりかねんなと思うと同時にここ半年の彼女との思い出が脳を駆け巡る
「貴女の結婚式でボロを出さないようにしなきゃね!」
「絶対やらかさないように気をつけなきゃ!」
「今日やらかしたからきっと結婚式の日は大丈夫」
半年に渡る壮大なフラグは回収された。私はもう駄目だった
披露宴が始まり、なんとか笑うのを我慢しつつ微笑んで入場する。唇がプルプルする
ちらりと幼馴染を確認すると、しっかりと洗濯タグが飛び出している。なんとか吹き出すのを我慢する
高砂席に座るが、花嫁がいきなり友人席に突撃して指摘する空気ではない。気になりつつも幼馴染が来るのを静かに待ち、ほいほいお祝いをしに来たところを捕える
タグをしっかり本人に見せつけ「裏返しだ」と指摘する
彼女は一瞬遠い目をし、「お手洗いに行ってくるね」と行って静かに去っていった…