眠れない夜。朝方も近い頃。
厚手のカーディガンを羽織って、ベランダで煙草をふかす。
澄んだ空気が心を沈ませる。
空の星は見えず、ぽつぽつと街灯や家の灯りが薄暗い街に浮かんでいた。
ふー、と煙を吐き出す。白っぽい蒸気が空気と混じり合ってる消えるのを見つめ、再び階下の街に視線を戻す。
足元に広がる街の向こうのそのまた向こう。なんなら、海の向こう。
ふと、知っている人が誰もいない、見たことの無い場所に行ってしまいたい衝動に襲われる。
そこでなら、こんな憂鬱な気分も消えるのだろうか。
『遠くの街』
夢を見た。
学生時代の懐かしい記憶。初めて付き合った君と一緒に歩く夢。
目が覚めてからも懐かしさに想いを馳せる。
付き合うまではあれこれ身振り手振りを交えて、快活に話していたのに、付き合った途端に、目も合わせられなくなってしまうような照れ屋だった君。
今思えば微笑ましく、若さゆえの繊細で可愛らしい反応。
当時は自分が鈍感でその変化に戸惑っていたっけ。
一緒に川辺りを歩き、学校から離れた公園で逢瀬を重ねては、知り合いの居ないところで手を繋いだり寄り添って話したり。
なんて青くて甘酸っぱい日々だったのだろう。
寒い冬の冷たくなった手に、温かな君の手が心地よかったな────
ピーー、ピーー、ピーー。
ファンヒーターの電子音が鳴って、古い記憶から現実に引き戻される。
重い腰を上げ、延長のスイッチを押す。
それほど寒い訳でもないが、なんとなしに二の腕をさすって、ソファーに座り直そうとすると、先程まで読んでいた文庫本が床に転がっている。
そっと拾い上げた本をテーブルに置き、ソファーに沈み込む。
巷で話題になっている青春映画を書籍化したものだ。どうやらあの懐かしい夢は、この本を読みながらうたた寝をしてしまったことが原因らしい。
今となってはぼやけて、はっきり顔も思い出せない。そんな君は今頃、どこで何をしているんだろう。
そろそろ夕食を食べて持って帰っている仕事の続きをしなければいけない。
あ日々の思い出は頭の隅に追いやられ、現実で埋め尽くされていく。
『君は今』