快晴、快晴、陽射しが肌にしみこむ。
快晴、快晴、青空に脳内までも晴れ渡る。
なんだか楽しくなってくる。
すっかり中年になったのに、まだ楽しい、それが嬉しい。
とにかく、快晴は素晴らしい!
何気ないふりばかりってのが、
ここら辺りでは何気ない日常です。
知らないふり
見ないふり
聞こえないふり
とぼけた顔して、上っ面を塗りたくるのです。
何から何を護るためでしょうか。
いえいえ、最早何のためだか、私にはわかりません。
愛のため家族のため平和のためだとか
そんなとぼけた事は一切聞きたくありません。
何気ない日常を組み立てながら生きていくことが
果たして本当に秩序を保つための「正解」でしょうか。
変人狂人扱いを恐れて
半歩だって踏み外さぬように
日々何気なく気を配る者達の行進。
疑問はあれど、それを眺めることにも慣れてしまいました。
ああ、私って奴も何気なく何気ないふりをして
疑問はいつも喉の奥に留めております。
果ての見えぬ砂漠に二人ぼっちだったら、どうだろうか。
星の王子さまの話ができるね。
星の王子さまの話がきけるね。
陸地の見えぬ海原に二人ぼっちだったら、どうだろうか。
あの爺さんの話ができるね。
あの爺さんの話がきけるね。
何にも見えぬ吹雪の最中の穴蔵で二人ぼっちだったら、
どうだろうか。
歩く地蔵様の話ができるね。
歩く地蔵様の話がきけるね。
ずっと遠くまであるような、私一人を取り囲んでいるような、ただただ藍色の世界。
時折りそのようなところへ、睡眠中に連れて行かれるのです。
その、一面藍色の世界では、金色がちらちらと桜の花びらのように降り注ぎ、消えて、また降り注ぐ、というのが静かに繰り返されます。
水色の薄雲のようなものが発光しながら漂っていることもあります。
自分以外には誰もいないし、音も無いのに
私はまるで楽しそうに、面白がって歩いています。
なんの不安もないのです。
優しい夢、お気に入りの夢、行きたい時に行けぬ世界。
その夢が醒める前には、なんと、夢の中で朝を感じます。
そして「ああ、朝だ。また連れてきてね」と
誰かに、何かに、そう大声で言い
大きく手を振っていたら目が醒めて
布団の中で「ああ、ここにいる」と
なんだかよくわからない実感を得るのです。
夢が醒める前の「また連れてきてね」を
受け止めてくれる誰か、何か、は
あの世界そのものなのでしょうか。
何も何もわからないのに、どうしてこんなに、あの世界が愛しいのでしょう。
きっと私が頭の中で創り出したものだろうとも
何とも言えぬけれども
とにかく私は、またあそこへ行きたいのです。
泣かないよ。
誰も彼もが其々に、どうのこうのと言いましたって、泣かないよ。
甘い甘い言葉を、それに万歳してのっかる程度の女だろうがと言わんばかりに放つ人らよ。
そんなもんじゃあ、泣かないよ。
だって、つまらないことでは泣かないよ。
泣けるほどの、甘い言葉を聞かせてよ。
心の奥底の、さらにその裏っ側から安らぎに満たされていって、私のすべて、私の知らない私のすべてまでも、やわらかな光りに包まれるような恍惚を、さあ。
そしたら涙を見せてあげられるでしょう。
つまらないことでは泣かないよ。
正しい正しい言葉を、これに賛同せぬと物分かりが悪いやら正義ではないやら、人それぞれだからやらとぬかす人らよ。
そんなもんじゃあ、泣かないよ。
だって、つまらないことでは泣かないよ。
泣けるほどの、胸を震わす言葉を聞かせてよ。
その正しさに膝から崩れ落ち、まっすぐ前を向きながら涙できるような、熱くなった魂が意識のすべてを浄化するような、そんな正しさを、さあ。
そしたら涙を見せてあげられるでしょう。
つまらないことでは泣かないよ。