私は言葉が好きで、大学で言葉を学んでる。
私に言葉の良さを教えてくれた憧れの人は言った。
「言葉は人に刃を向ける。でも同時に人を救う。」
今でも思い出すのは、
中学時代の恩師からもらった
「お前ならどう転んでもプラスに変えられる。」
という言葉。
そして思い出したくもない人に向けられた
「軸のないクソ人間か」
という言葉。
きっと人を寂しさや辛さに突き落とすのも言葉で、
寂しさや辛さから救うのも言葉だ。
どうか私だけは救う側の人間でいたい。
どうせ使うなら救うための言葉を使いたい。
痛みを知ったからこう思えるようになった。
誰にもあんな思いさせたくない。
忘れちゃだめ。
言葉は大切に大切に紡がなければならないものだということ。
「冬は」なんて言わないで。
ずっと春も夏も秋もこの先もずっと一緒にいようよ。
あの時の私がそう素直になっていれば変わってたの?
君のストーリーには幸せそうな君と隣に写る女の子。
その顔見たことあるよ。
私と一緒にいた時と同じ顔。
幸せなんだね、幸せでいてね。
君の好きな洋画、話合わせるために全部見たよ。
清楚系が好きな君のために服の系統も変えたよ。
君が電話派だから苦手な電話も克服したよ。
私は頑張った。でもそれでも結ばれなかった。
ならきっとそれが運命なんだね。
甘い言葉も簡単に言ってしまう君が羨ましかった。
でも「好き」だけ言わない君は嫌いだった。
去年、来年のクリスマスは一緒にって約束したから
まだ24日空けて待ってるの。
君にはもう彼女がいるのにね。最低だよね。
もうやめるから。応援するから。
だからどうかどこかで幸せでいて。生きていて。
時々自分自身の成長に寂しさを覚える。
クリスマスはサンタさんのプレゼントが
楽しみで仕方なかったのに
クリスマスを家で過ごすことに恥ずかしさを覚えたり、
雪が降ったら外に出て遊びたかったのに
電車が止まる心配をしだすようになったり、
もっと純粋に、
学校に行って、宿題をして、遊んで、ご飯を食べて、疲れてぐっすり寝る。
ただそれだけだった。
大学に行って、勉強して、バイト行って、遊んで、悩んで、自己嫌悪で寝る。
いつからこんなに自分を卑下するようになったのかな。
いつからこんなに人と比べるようになったのかな。
きっと私たちは知りすぎてしまったんだと思う。
愛は永遠じゃない。
努力は報われない。
友達も所詮は他人。
言葉と本心は違う。
こういうことがこの世界には普通にあるってことを。
そんな世界でたった1人他人じゃないのは自分だけで、
最後に自分を守れるのは自分しかいない。
そのために私たちは純粋じゃいられない。
自分のために強くなってる。
あなたを大切にしないどうでもいい人からは離れて
いつか必ず美しくあたたかいあなたを
あなたのような人が見つけてくれる。
そんな言葉に出会って、
まずは私が美しく温かい人になるのが
きっと大切なんだろうと思った。
つい先日友達に言われた言葉がある。
「あなたは優しすぎるくらいに優しいし、そんなところも好き。だけど、それで壊れちゃうのが怖い。たまには自分軸でいいんだよ。私はそれを否定しないし、意見を言ってくれるの嬉しいよ。」
もっと自分軸で生きよう。
もっと自分を大切にしようと思った。
自分自身に愛を注げない人が、
他の人に愛を注げるわけがない。
いつか見つけてくれるその人に
見合う私になれるように。
優しさって与えるものでももらうものでもなくて
交換して対話するものだと思う。
心と心の対話。
片方が優しいだけじゃ優しくしたくなくなるし
もらってばっかりじゃ申し訳なくなる。
お互いに渡しあってこそ本当の優しさがある。
見返りを求めるのは優しさじゃないってよくいうけど、
それは確かにそうで、
でももらう優しさに甘えてばかりの人がいたら
優しさじゃなくて利用だから。
ありがちな綺麗事かもしれないけど、
お互いに思いやりがないと成立しない。
優しさを利用してくる人からはすぐに離れないとだめ。
それは優しさなんかじゃないから。
心と心が通じ合って、
優しさを渡し合って、
初めて成立する。