人は別れがあるから出会いがあって
別れがないと出会えない人もいる。
卒業ってほんとにそうで、
どこかの誰かが勝手に決めたたった3年を
どこかの誰かが勝手に決めた卒業って言葉で
締めくくられる。
卒業は誰も選ばないのに訪れる別れ。
どんなに大喧嘩しても
どんなに授業が嫌でも
どんなに大嫌いな先生でも
いやでもそこにいけば居場所があった。
私の席があった。
大好きなあの子に連絡しなくても会えた。
大好きな親友と予定を合わさなくても会えた。
どんなに辛くても当たり前のように
守ってくれる先生がいた。
さよならなんて言わないでよ。
コロナ禍を駆け抜けた高校生活。
普通がこんなにも愛おしいものだとは知らなかった。
友達の笑顔がこんなにも尊いとは知らなかった。
この厳しいコロナ禍を共に耐え抜いた同志たちと
離れてしまうことは怖かった。
でもそれから一年。
大学生になった私はちゃんと前を向いているし、
大好きな友達もちゃんとできたよ。
でもさよならは寂しいから、
お互いに成長してまたどこかで巡り会えたらいいな。
そしたら君はきっと運命の人だ。
光と闇の狭間で生きてる、そんな人がいる。
一歩外に出れば、
ニコニコして元気そうに色んな人とお話ができる。
でも1人になったら、
考えて辛くなって布団の中で1人で涙を流す。
辛くても寂しくても何とか踏ん張って夜を超えて
次の日の朝には無理矢理頑張れてしまう。
誰にもバレずに、平気そうに振る舞えてしまう。
この辛さを誰よりも知っている私。
光と闇の間の住民、
隠れるのがすごくすごく上手なみんなだから
私だけかなって不安にもなる。
大丈夫、ちゃんと頑張れてるよ。
人は闇を知ることで光の中で輝くし、
闇の中にいる人を助けることができる。
ちゃんとあなたの強みになる。
だから生きて、生きてさえいれば
ちゃんと認められるときがくる。
もう12月、この間やっと念願の大学に入学したのに
もう一年が終わろうとしている。
気づいたらきっと
大学生じゃなくなってるんだろうなって思う。
将来は憧れの先生のように
1人で頑張ろうとしている子を支えられるような
そんな先生になりたい。
そんな夢があるけれど、
夢と現実の距離ってどのくらいなんだろう。
本当に先生になれるかな。
誰かの思い出の中に出てくるような先生になりたい。
子どもたちの未来に携わらせてほしい。
憧れの先生と卒業の時にした約束、
きっと先生は
私にそんなこと言ったの忘れてるだろうけど、
『焦らないこと、
自信を持つこと、
努力をやめないこと』
まだまだダメダメな私だけど
絶対先生に追いつくからね。
先生みたいな、じゃなくて先生を超えるからね。
落ち込んでいる人にかける言葉は2種類ある。
「泣かないで」
「泣いていいよ」
私は人生で「泣いていいよ」って2度言われた。
1回目は高校受験がダメだった時に当時の担任の先生に
「本当によく頑張った。今まで泣くなよって言ってきたけど今日はいっぱい泣いていいよ。」
って言われた。
2回目は高3の最後の夏インターハイ予選で負けたとき。コーチに「今日はいっぱい泣け。」って。
もうあとがない時、これでもう終わりな時、
人は「泣いていいよ」って言う。
でも私はこれに反対。自分が言われてわかった。
「泣いていいよ」を絶望の言葉にしちゃだめだ。
私の中で「泣いていいよ」が絶望の言葉だから、
ちょっとやそっとの悲しいこと、辛いことで泣けなくなった。
当時の担任の先生のおかげで先生を目指すほど尊敬しているし、コーチだって今でも交流があるくらい2人とも大好きな人。
だけど私は「泣かないで」じゃなくて「泣いていいよ」って言える人になりたい。
泣くことは悪じゃないから。
泣けるって素晴らしいことだから。
心は泣いてるのに涙が出ないことほど
辛いことはないんだよ。
街を歩けばクリスマスソングが流れてて
イルミネーションがあって
お店のショーケースも赤と緑でキラキラしてる。
冬の始まりを感じる。
冬は人肌が恋しいって言うけど
それほんとだなぁ。
周りのカップルが羨ましいし
良い感じの男の子ができたって話も聞いた。
友達の幸せな話聞かせてくれるのすっごい嬉しい。
だけどちょっと刺さったりする。
口では「めっちゃいいやん!私まで嬉しい!」
ってちゃんと言えるのに、
心では「なんで私は幸せになれないの?何が違うの?」って思っちゃう。
そんな自分が嫌になる冬の始まり。
サンタさんみたいになりたい。
子どもたちの幸せのためにって寒い中幸せを配る人。
サンタさんに憧れる冬の始まり。