親からの愛情は小さい頃から十分すぎるぐらい貰ってきた。
毎日「大好きだよ」って言ってもらって
ご飯も作ってもらって
やりたいって言ったことも全部やらせてくれた。
そして何より寂しくなったら
「ママ、ぎゅーして」
って言えてた。
いつの間にか母親の背を抜かして、
自分の遊ぶお金くらいは稼げるようになって、
何も変わらないのに18年生きたら
今日から大人ですって切り離されて、
ほんとはあの頃から何も変わってないよ。
だから寂しくなっても夜1人で泣いてたりするの。
親の言うことが全部正しいわけじゃないって
私も大人になってわかるようになったから、
反抗したり、イラッとしたりすることもある。
でもやっぱりあの頃が恋しいよ。
親がいなくなるのが怖いなんて小学生みたいだけど
やっぱり怖いよ。
まだまだずっと長く長く一緒にいてね。
私も両親みたいに大好きな人にたくさんの愛情を届けられる立派な大人になるから。
せめてそれまでは。
微熱、急に私が弱くなる。
幼稚園の頃から周りの同級生よりも少し大人で
先生たちからは心配になるくらい良い子と言われて
学級委員に先生から指名されて
小中高と部活で部長や副キャプテンと役職に指名されて
友達からは優しくて頼りになると言われ続けてきた。
だから私はこうじゃなきゃ私じゃなくなる。
そうやって思い込んで、強がって、自分はなんでもできる、できなきゃダメって生きてきた。
微熱、頑張ろうと思えば頑張れるし
寝ときたいといえば寝ときたい。
でも私は弱いから頑張ることしかしらない。
絶対そんなことないのに、
こんな微熱で休んだらどう思われるんだろうとか
変な被害妄想で結局頑張る。それしかできない。
もういいよ。
弱くても良い。
あなたがあなたでいれば良い。
自分が求めてるから他人にはこんな言葉をかけられる。
自分が求めてるから他人の欲しい言葉がわかる。
自分は求めてるのに自分にはその言葉をかけられない。
結局一番弱いんだよ、わたしが。
意識が落ちていく狭間でこれを書く。
今日も1日頑張ったと褒められる日もあれば
今日のあの一言はあの子を傷つけたかもしれないと
1人反省会を開く日もある。
今日も、高熱にうなされながらフリック入力。
こんな時くらい休めよときっと思われるだろう。
でも、病気の時ほど
孤独で、辛くて、世界が真っ暗に見える。
誰かと繋がりたくて
いつも以上に明るい文面でLINEを返し
書く習慣を開く。
さぁそろそろ落とそう。
ばいばい意識。
私の宝物は今までもらった言葉だと思う。
私は言葉の強さを知って、それを子どもたちに伝えたくて、学校の先生を目指している。
今までたくさんの優しい言葉に救われ、
時にトゲのある言葉に傷つき、
まっすぐな言葉に導かれてきた。
言葉は強い。
たった一言に救われて、人生が変わる人がいる。
私もその1人だ。
「お前は俺に似てる。」
尊敬する先生にもらった言葉。
この一言で先生の後を追うことを決めた。
きっと先生は覚えていないような一言でも、
私にとっては人生を変えた言葉。
たった一言が今日誰かの未来を変える可能性を忘れてはいけない。言葉は人を良い方にも悪い方にも動かせるくらいのパワーを持っているから。「つい」言ってしまった、じゃ済まないこともある。
自分の言葉に責任をもつこと、
これは私の宝物を守る方法。
高校時代の思い出は部活のことばかり。
授業は部活前の時間潰しとしか思っていなかったし、
平日も休日もオフなんかなかったから
頭の中は部活のことで埋まってた。
当時はそれが辛くて辛くて仕方なかったけど
今思えば一つのことだけを2年半っていう長い間考え続けられること自体が青春だったと思う。
決して仲のいい学年じゃなかったけど
今でも定期的に会おうってなるのは
みんなあの青春が恋しいからだ。
家族よりも長い時間を共にして、
笑って泣いて怒って悔しがって喜んで
全ての感情を共にして支えあってきた。
あの日々のおかげで今はちょっとやそっとの
辛いことじゃ折れない人間になれた。
今は大学生で
将来への不安に押しつぶされそうになるけど
それでも私はなんとかやっていける。
そう信じてる。
ずっと1日練習で休みもなくて、
きつい練習で倒れても倒れるのが悪いと怒られ、
勝って当たり前と言い続けられ、
きっと時代錯誤だって思われるだろう。
それでも、あの経験は私たちの青春であり宝物だ。
コロナ禍を駆け抜けた高校時代。
制限ばかりの生活の中で
唯一本気でやらせてもらえたこと。
たくさんの思い出。
コロナなんかに青春を壊されてたまるか。
きっとコロナ禍の高校生の意地だった。