何気ないふたり
「明日になったら忘れてね」
そう言って眠った彼女は、必死にいつも通りに振る舞おうとして震えた声をなるべく隠してベッドの向こうを向いた。鼻をすする音と濡れたまつ毛がいつも通りではないことを主張しながらも。愛子(あいこ)はどう声をかけていいか分からなかったし、申し訳ないけれど明日からいつも通りに振る舞えるとも確信がなかった。
大学生になって初めて話したのは愛歩(あゆみ)だったし、一番仲良くなったのも愛歩だった。愛子は大学生になって人間関係を上手く作れるか自信がなくて、オープンキャンパスの時点で色んな人に声をかけて連絡先を貰っていた。その時はまだ入学してなかったしちょっと勇気を出すだけで入学後の大学生活が豊かになると思うと充実感すらあった。しかし所詮その場限りのネットワーク。入学した後は実際コマが被った時だけ会話する、みたいないわゆる よっ友ばかりしか残らなかった。その中で唯一その後大学で交流が続いたのが愛歩だった。
my heart
心の中を覗いてみたい。誰のって、自分の。私は私のことが一番分からない。私は自認が流動体で、自分が人間の型にきちんとハマっていられている自信が無い。どこか私というのは目に見えないもので、触れられないもので、未確認生命体的なものなのではないかという気持ちが拭えないのだ。鏡にうつる人間の形をした私のことを自分と別に考えている訳ではない。鏡にうつるのも私自身で、それがきちんと五体満足の人間で液体とかなんかじゃないことは理解している。それでも鏡を見ている時以外は私の容姿の想像は顔のないスライムのようなドロッとした液体で、目なんかないのにじっとこっちを見ている。私はスライムだから、何をしても許して欲しい。人間じゃないからどうか許容して知らないフリをして忘れてほしい。そんな甘ったれた考えを捨てられない。
ないものねだり
知らないうちに思っていたよりも遠くに来てしまっていたようだ。知らない駅で降りて、駅のところの街のガイドマップを頼りにただ歩いて海まで来た。夕焼けに揺れるどこか浮世じみた水面が私に現実を忘れさせる。ありきたりだが、疲れてしまった。社会というのは人間を使い捨てだと思っているのだろう。どんなSNSや小説や映画を見ても人間達は社会に使い潰されているし、どこか疲れている。こんなしみったれた書き出しだと、次に行うことは自殺なんじゃないかと誰もが予想するだろう。しかしそんな勇気は誰だってなく、疲れたと思っている人間が次々に死んでいたら社会が成り立たない。ただ、儀式をしようと思ってきた。明日からちゃんと頑張るための生まれ変わりの儀式。大きく手を振って走り出す。
二人ぼっち
「私たちずっとこうなのかな」
月明かりが照らす窓辺に二人、優花は肩に寄りかかりながらそう囁く。
ᴸᵒᵛᵉᵧₒᵤ
色んなことがあったよね。今これを読んでいるってことは、もう全部解決したかな?どうだろうね。なるべく君にとっていい状況であることを願うよ。君とは結構長い付き合いだけれど、君のことを今でも知り尽くせてない。もっと自分のこと教えてくれたっていいのに。もしかして、僕が喋りすぎ?そうなら今度あった時気をつけるから言ってよ。『自分のこと喋りすぎだから私に変わって!』って。前置きが長くなったね。こうして手紙を書いてあるのは僕の今の状況を全部残しておこうと思ったから。どこに出すって訳でもないよ。家の中に隠しておいて、もし見つかったら読んでくれるかなって思って。見つかんなくてもいい。僕の気持ちの整理の一貫としてこうして筆をとったってわけ。どうせ見つけたって返事のひとつもくれないんだろ。今僕は家を出てマンションの一室を借りて一人暮らししています。帰っても家に誰もいないのは結構寂しいけどそれなりに自由にやってます。仕事も順調で同期とも良く酒を飲む仲だよ。君はどう?上手くやってるかな。あんまり大人数が好きじゃない人だったよね、君は。僕も君と仲良くなるまで結構かかった思い出があるなあ。まだサークル入りたてで仲のいい人なんていなかった時、よく飲み会に行ってたけど一度も来なかったよね。おなじサークルだって知ったのなんか入ってから3ヶ月は後だったし。ただ、あとから考えるとあれは一目惚れだったのかも。一度も話したことがなかった時から君が一人でいるのをよく見かけた。あの人今日も1人か、なんて思いながら2週間くらいは遠くから見ることくらいしか出来なかった。初めて話した時の事覚えてる?今日こそは話しかけてみようってこっそり実は緊張してて、あんまりにも面白くない話題で声掛けちゃったよね。ごめんね。謝っておく。何話したかなんて覚えてないけどあんまり盛り上がらなかったことだけは覚えてる。あとから失敗したなあってひとりで反省したんだよね。そこからずっと君のことが気になってた。なんでかは分からないけど一緒にいてどこか安心したし。