《短編ポエム小説》
“病室”
ここでは真白な風が吹き抜ける
ドアを開けて全面がガラスになった
絶景の部屋の中に駆け回る数多の人の幻はあった
無機質で清潔な閑散とした無人の部屋に降り立つ
愛しくもあり懐かしくもあり微笑ましくもあり
いつでもあるようでいつまでも見つからなかった
何処にでもあるようで何処にも見つからなかった
あのときは笑っていた
あのときは悲しんでいた
あのときは安堵していた
横たわる人の姿が変わっても
駆け回る人の姿が変わっても
時代や場所が変わっても
誰かがそこで喜んでいた
誰かがそこで悩んでいた
誰かがそこで泣いていた
扉を開けると
ある人はありがとうと言った
閉じてまた開けると
ある人はお大事にと言った
閉じかけていると
ある人が頑張れと言った
閉じた向こう側から
ある人が頑張ったと言った
ノブから手を離すと向こう側から
ある人が頑張ると言った
みゆき
《短編 ポエム小説》
“もし明日晴れたなら”
喧しく鳴く蝉の声をBGMにしながら、庭に放置したままのハイビスカスの鉢植えを雑草から救助していた。
日避けの麦わら帽子の下の額から大粒の汗がポタポタと音を立てながら足元の乾いた土の上に滴り落ちるのにも、すっかり慣れてしまった。
こんな炎天下の空の下では付近に蝉以外の気配を感じることは出来なかった。ニュースでは狂気と化した熱波が世界各地で被害者の数を積み上げ、世紀末さながらの天変地異にある種の人々は言い様の無い絶望を感じていた。各国の政府やメディアは人々に希望を失わずに前向きに生きて欲しいと願いながら、それとは真逆のサバイバルのようなドキュメンタリーを日々流し続けるしかなかった。
びっしりと雑草に覆われた鉢植えを逆さにして、軽くハイビスカスの茎を引っ張るとカラカラになった根と土がスポッと心地よく飛び出た。雑草を摘まんで綺麗に省きながら、灼熱の様の周囲を見回すとアチコチに然り気無く飛び立っていった蝉の殻が残っていた。何十年も飽きもせず嘆きもせず今でもまだ儚い生命活動をしている相変わらすで有名な短命生物は今頃お目見えなのかと少し不気味な佇まいの殻をしばし眺めていた。
こうやって何かで気を紛らわすのは悪くない。時代の変わり目に多くの人々が濁流のように流されかき消されていった虚しさは私だけのものではないだろうが、例えるなら胸の中が空洞化した底なしのブラックホールのようで。
人によってはこれを絶望と解釈して何らかの痛みと捉え悪い思考に陥るだろう。別の人は虚しさや不安を感じているだろうか?人間が感じうる中でこれ以上悪い心地があるだろうか?と考えた時に、私はこれが絶望ではないことに気がついた。これが絶望ならばもう私にはどうしようもなかった。人間追い詰められた時には普段は解らないことを発見したりするんだとやけに落ち着いて考えた。
一見絶望と感じるこのブラックホールは実は白紙のように新だった。真っ白い新品を絶望のブラックホールと間違ってはいけない。この感覚。これは絶望のようで絶望ではないのだと理解出来て幸運だったと思う。人間は感じたことの無い感覚に行き当たると対処の仕方が解らずに絶望だと思ってしまうのだろうか?絶望ではなく新たなスタートのための白紙のような心に感情。気がついた。
資本主義色の強まった世界は残酷な面もあった。社会は人々の内面には無関心だった。皆戸惑いながら誰かを助けられずにいた。資本主義社会を上手に生きている人々は多くはいないように見えた。私自身も気がついたならなぜ真っ直ぐに脇目もふらずに未来に歩かずにこんなに根暗な書き物をしているのか、一体誰ならわかるだろうか。
この白く漂白された新たな感情は単純明快だった。そしてとてもシンプルだ。男性はこれを絶望ととるだろうか?女性は私と同じように新たな門出ととるだろうか?真昼の夢の中のような真夏の白い陽射しの下で、音も無く変わり行く世界の静けさを眺めながら“生き残る”ただそれだけを思っていた。
みゆき