【ここではない、どこかで】
ここではないどこかで、私ではない誰かが…いや、必ずしも私ではないとは言い切れない人物が、さまざまな人生のストーリーを紡ぐ。それが、小さい頃から現在にいたるまで続く、私の真夜中の過ごし方だ。
物心ついたときには既に、もう1人の自分のような少年が傍に存在していた。可愛いガールフレンドとただただ無邪気に遊んでいる子だった。自分に近い、それでいて自分ではない少年は、現実には同じ年頃の子どもが近くにいなかった自分にとって唯一無二の存在だった。
それからずっと、夜は彼の人生を歩むための時間となった。家族との縁は薄く、ひょんなことからラジオパーソナリティとして採用された彼は、大好きな音楽から役者の世界へ足を踏み入れる。さまざまな役柄を演じることとなった彼の姿を、毎夜ベッドの上で追い続けているのだ。
彼を取り巻く人もまた、現実に存在する人にかぎりなく近い別の人だ。限られた時間の中で、無限に広がる「ここではない、どこかで」の物語。今宵も彼らがまた新しいストーリーを紡ぎ出すのだろう。
あぁ、今から寝室に行くのが楽しみだ。
【届かぬ想い】
「いや、う〜ん…何か違うんだよなぁ…」
発注していたカラーサンプルを前に、私は困惑していた。オリジナル商品のアイデアを提案して即採用されたまではよかったが、具体的なイメージを第三者に伝えることの何と難しいことか。
特に「色味」は、最重要項目であると同時に最も伝えづらいものであることをこのとき思い知ることとなった。このとき発注した色は「鮮やか赤紫色」で、イメージに近いDICの色番号も調べて伝えていた。
ところが、届いたカラーサンプルは「赤紫」というよりもかなり「赤」だった。合わせる色は乳白色と決まっていたので、これでは意味なくおめでたい紅白色になってしまう。
社長と相談の末、何か自分がイメージした色に近いモノを実際に見てもらった方が良いということで、最もそれに近いと思われた赤紫色の色鉛筆をお渡しした。
が、これもまた一筋縄ではいかなかった。
「え〜と、色の濃い部分と薄い部分のどちらでしょうか?」
想定外の質問だった。塗った色じゃなくて、軸そのものの色でいいんですけど…と思ったが、最終的にはこの手の発注に手慣れた社長に一任することとなった。
そして、再び届いたカラーサンプルは正に私がイメージしたとおりの色味だった。かくして私の提案したオリジナル商品はこの後約半年後に無事商品化された。
ちなみに、その後で別の商品開発に携わったときにも色味のイメージが上手く伝わらず、冒頭の台詞を再度呟くこととなった。そのとき送っていただいたカラーサンプルはとある商品に生かされることになったのだが、それはまた別のお話。
【神様へ】
私が世界で一番好きな人は、いつも何処かで誰かのためにギターを弾いたり歌を歌ったりしている人。そしてサービス精神が旺盛で、ついついトークが長くなりがちな人。
私が14歳の誕生日を迎えるちょっと前、
たまたま部屋でFMラジオが流れていた。
「僕らの新曲です。聴いてください」
その声に耳を傾けると、続いて流れたその「新曲」に心奪われてしまった。透きとおるようなサウンドと伸びやかな歌声。この人たちの音楽をもっと聴きたいという衝動に駆られ、翌日には手に入れたアルバムをテープにダビングして擦り切れるほど聴いていた。
ライブバンドと評される彼らのライブを初めて観たのは、高校生になってからだった。それまで、登下校のときや自室でず〜っと聴いていた曲が目の前で奏でられているのは何だか不思議な感じがした。
何より不思議なら感覚に陥ったのは、ステージ上から私たち観客に向けたこの言葉を聞いたときだった。
「どうもありがとう」
特別な言葉じゃない。特別なシチュエーションでもない。他のライブでも当たり前のようにある光景。でも、このときの私にはなぜかとても特別な響きに感じられた。ありがとうという言葉が心の奥まで真っ直ぐ届いて、内側でじんわりと溶け出していくような、そんな感覚だった。そしてその感覚は、彼らのライブを観るたびに必ずおとずれた。
どうしてだろう?
どうしてあの「ありがとう」だけ特別なんだろう?
そんな疑問を抱いたまま、気がつけば干支2周りくらいしたころ、ふとこんなことを思った。
「言葉もシチュエーションも特別でないのなら、彼の存在そのものが私にとって特別なのではないか」と。
すると、驚くほど気持ちが楽になった。
これが正解かどうかは定かではないが、
少なくとも私にとっては大切な気づきだった。
神様、私にとって特別な存在であるこの人と、
10代最初の頃に出会わせてくれてありがとう。
もしも20代、30代になって出会ったとしたら、
この想いには未だ至っていないと思うから。
私が世界で一番恋慕うあの人がこれからも変わらず、
いつも何処かで誰かのためにギター弾いたり歌ったり長々喋ったりで3時間越えが通常運転のライブを続けられますように。
そして、彼と彼が大切に想う人たちが
みんな笑顔で幸せでありますように。
【快晴】
100年以上続いた「目視による気象観測」。数年前に気象衛星による自動観測に変わったことで、気象庁の記録から「快晴」という表現が消えた。「快晴」をはじめ、人の目だからこそ判別できた馴染みのある天気や大気現象の表記が、このときを堺に姿を消した。
ということを、昨日初めて知った。「快晴」というお題をいただき、ネット検索してたらこの話題が出てきたのだ。ふ〜ん、機械だけじゃ判別できないことってあるんだね。それにしても「快晴」→「晴れ」に統一されたっていうのは、何だか味気ないなぁ。
ちなみに、日本が誇るライブバンド「スターダスト⭐︎レビュー」をこよなく愛する者として「快晴 スタレビ」でもネット検索してみた。
やはり、夏の野外ライブの話題が出るわ出るわ♪
うんうん、そうでしょうそうでしょう(御満悦)。
個人的には、2018年に開催された楽園音楽祭inモリコロパークのことを要さんがインタビューで語っている記事を改めて読めたのが嬉しかったなぁ。私も実際に足を運んだライブのことだったので、懐かしく思い出すうちにDVD観たいなぁ〜と物欲が出たりして。
スタレビさんの話をしていると、それまでモヤっとしたりイラッとしたりしていたのがスッキリしはじめた。すごいな、スタレビさんは。気象庁の記録には残らないけど、私の心が「快晴」であることはここに記しておこう。
2023年4月14日(金) ◯(快晴を表す天気記号)
【遠くの空へ】
星空が見たいなぁ、と思う。
自分の視界全てを覆うような、満天の星空を。
でもこの辺りじゃ無理だろうなぁ、と
遥か遠くの空へ思いを馳せてみる。
辺りは静寂に包まれているはずなのに、
ひとつ、またひとつと星が瞬くたびに
まるで音楽が奏でられているような気持ちになる。
いつまでも、いつまでも
この素晴らしい世界に包まれていたい…
ふと我にかえって、束の間の星空旅行は終わりを告げた。でも大丈夫。まぶたを閉じればいつだって、ここではない遥か遠くの空の旅を楽しむことはできるのだ。
さぁ、今度はどんな空の下に行ってみようかな。