運命的な出会いを待ち侘びている
私の運命の人であるあなたに会いたいのだ
もしかするとあなたは存在しないのかもしれない
いやいや、
まだ出会えていないだけだと信じておこう
私がここに居るのだから、あなたもどこかに居るはずだ
だから私は、あなたの運命の人であれるように
日々を生きよう
そしてあなたとの出会いを果たすために
世界中を探し回ろう
そうしてあなたに会えるのを心待ちにしています
『今日も何事もありませんでした。』
そういつものように、
日記の今日のところに綴る
そんな余白だらけの日記帳を閉じて
1日の終わりを迎える
こんな意味のないような、行為をかれこれ2年は続けている。ただ、私にとってそれは日々の中のかけがえのない1日を終えるための、儀式となっていた。
何事もなかったわけでもないのだけれど、書くことでもないかと、1日を無かったことにしている。
私は2年間もの間、何もない日を過ごしていたことになるんだろうな。
そう思うとなんとも悲しくなるものだが。
平穏な日々を過ごさせてもらっていることは確かだろう。
ただもうそろそろ、何か劇的な日が訪れてほしいかな
なんて密かな期待をしてはそんな日なんて訪れず、
同じような日がやってくるのだろうなと思っている。
……。
なんだか今日は眠れない。
日々を無かったことにしてきたことに、
今更、罪悪感を覚えてしまったのかな。
これから先もこんな日々を過ごしていくと思うと、
ものすごく不安だ。
あぁ、なんて残酷なことをしていたのかな。
あの日の自分、あのときの自分を
すべて否定しているようなものじゃないか……。
気がついた時には、体をベッドから抜け出て
さっき閉ざした日記を再び開いていた。
『今日も何事もありませんでした。』
そして
そう書いてある文字の下に
『いや、やっぱり幾つかあったかな。』
なんて書いていた。
また日記を閉じて、少し笑みを浮かべながら。
今日は何かがあった日を過ごしたのであった。
木枯らしもそうだが
風という明確な形のないものに対して
細かな固有名称を当てはめ、
更には風という言葉を用いずに表現したりするなど
昔の人らは皆詩人だと、疑っちまうが
やはり、
日本語という素晴らしき文化と
それを培ってきた先人たちに敬服せざるを得ない
我々にはその詩人たちの血が流れているんだと
そうだな
日本人は押し並べて素晴らしき表現者たちなのかもしれないな
私もその一人でありたいものだ
美しいと銘打たれたものを
ただ眺めて、
あぁ美しかったなあ
なんて、
なんとつまらないことか。
自らの感じたものを、
その心とその頭で言葉にしないと
それはただ美しいものとラベルされた商品を
購入しただけだ。
全ては自分だ
自分が感じて、自分で言葉にするのだ
他人が提示するのは、それっぽい何かでしかない
自分を信用してやろう
大事なものは他人に譲るな、奪われるな
じゃないとあなたがあなたである意味がねえ
その方が楽しいしね
どうして言葉を書いているんだろうか
文章を綴っているんだろうか
どうしてなんて言われても答えなんてないよ
なくていいよ
意味や価値すらない
そんなものだっていいはずだ
そんな純粋なものはもう私の中にはないか
子供の頃はもっと物事を単純に捉えていたかな
いや捉えてすらいなかったか
大人になればノイズだらけで
目の前のものは汚れてばかりだ
意味を求めて、価値を求めて
評価を求め、見失う
世界をほんの少し知ってしまって、迷子になってしまったのかもね
どうしてという疑問ですら
少なくなって、純粋な疑問から
理解ができないものに対しての憤りの声へと変わっていった
たった数十年の話でしかないのに
なんとも
いろんなものを知った気でいるようだ
まだまだ知らないことだらけだというのに
知ることで苦しくなることを知ってしまったからなのかな
でもさ
疑問を常に見つけられる人でありたいよね
そして、その疑問をすぐさま解決しに行ける人に
なりたいものだ
どうしてもね。