休職して次の就職先を探すために気持ちばかり焦る日々。
あくせく働く周りの大人達が眩しく見えて、置いていかれているような気がして。
からだに力が入らなくなって、また働けるのか不安になって。
あれを勉強したい。こんな活動をしてみたい、夢あふれ、取捨選択ができない私。
一方で、あれもできない、これもできない。わたしにできることなんて何もないんじゃないかと思う日もある。
未来がもしも見れるなら、ある程度の指針が立って安心するのだろうか。天邪鬼な性格だからそれに抗おうとしてまた苦悩しそうだ。
神様へ
今、私はどこにいますか。
齢24の私には人生という長い旅路が重くのしかかっています。
早く手放して楽になれたらなって思う日もあります。
どこに行っても八方塞がりな気がします。期待しては虚しくなりそんな滑り台の繰り返しにもう疲れてしまいました。
私はご高齢の方とよく接する機会があって、常日頃若さを分けて欲しいとよく言われます。
私も歳をとったらそんなふうに人生に渇望するようになるのでしょうか。
昔はいつか報われるって信じて外で頑張っていた気がします。苦しくっても神様を信じて一日一日かけがえのない日々だと思って研鑽してきたつもりです。
特に理由もなくいつか誰かを助けられる人間になりたいと思って生きてきました。
けれども、今の私は、仕事も辞めて、ボランティア先にも行けなくなってしまいました。
どうやら楽を覚えてしまったみたいです。
今の私に神様を信じる資格はないような気がします。
もう一度、神様を信じて日々の積み重ねが大事だと思える生活ができるように変わりたいです。
祖母が亡くなってもう3年が経つ。
亡くなる前は、苦しい時の逃げ場として母の実家によく赴いていた。
家では過活動になりやすかった私も『おばぁちゃんち』に行けば、不思議と何もせずとも時間が流れた。
祖母が無くなったのを期に引きこもり生活を辞めて外に出て社会との関わりを得た。
ボランティアやサークル活動など、色んな人から色んなことを学び、昔だったら考えられないほど刺激的な毎日を送っている。
人との繋がりってこんなに生きがいになるものなんだって実感している。
けれども同時に疲れも溜まりやすくなってしまった。もうちょっと活動をセーブして一人で物思いにふける時間も大事なんだなと反省している。
外での活動が上手くいかずしんどい時、よく祖母のことを思い出す。
あんなに居心地が良くて快適な場所にはもう帰れないのだろう。
片身の猫のぬいぐるみを抱き天にいる祖母の面影を夢想する。
世界が暗闇に満たされるようになったのはいつだっただろうか。
何をするにしても感動を覚えず。無為に時間を消費するシステムと化した私。
ストレスばかりが溜まる今の職場を辞めて1ヶ月。
選んだ自由は結局、芯の無い自分に気付かされるだけだった。
仕事から開放されやりたいことは沢山あったはずなのに、何も掴めない。何のために辞めたのか。
自分探しという自分に課した命題は重くのしかかり、どことない緊張感に震える毎日。時間の消費の仕方を誰も教えてくれない。
仮初にもやることを与えてくれた彼らの元に帰りたい気がする。
けれども戻りたいとは思えない。飛び出したその衝動は決して無駄なものじゃないと確信している。
何かが見つかるその日までソワソワと虚無感の混ざるこの気分を大切にしたいと思う。