ずっと望んでいることがあって、わたしひとりの夢ではなくて、ずっと実現できずに今に至る。これまでとこれからの行動すべてが望んだ未来への鍵、だとしても、合わない鍵を入れ続けているような手応えのなさと、自分で鍵を選びとれないやるせなさがある。うんともすんとも開く気配がない。それでもこの扉に固執するしかない。そうである以上、わたしはもうここに閉じ込められているようなもので。どうか早く開けてって神頼みするしかない。
人に優しくするのは、わたしが誰よりも優しくされることを欲しているから。あなたを甘やかすのは、わたしが誰よりも甘やかされることを望んでいるから。
馬鹿にされた、ないがしろにされたと感じるのは、わたしこそが相手を馬鹿にして、ないがしろに思っているからだ。
誰かと一緒に過ごしているようで、わたしの周りにいるのは他者のお面をつけた私だ。自分の価値観や感じ方を投影して、ひとりでに首をしめられている。仕事に、人生に疲れ、消えたい、終わりにしたいとすら思っていた日々のなかで、苦しみの全体を捉えようとしてみれば、壁にみえていたのは鏡だった。ねぇ、知ってはいたけれど、そんなに、わたしのことそんなに嫌いだったの。こんな大がかりなおままごと、終わりにしよう。
ここ最近、休日の過ごし方としてハマっていること。家から徒歩1〜2時間圏内のスポット、公園とか美術館とか神社とかに目星をつけて、そこまで歩いていき、ゆっくり時間をかけて散策や鑑賞などをして、道中の気が向いた飲食店やカフェでご飯を食べる。さらに気が向いたらお土産なぞ買って帰る。できれば9時台には出発して、15時頃、遅くとも16時までには帰宅してたい、そんな計画。
電車で連れてってもらうのもいいけど、自分の足でどこかに行ってみる。そんで、視界にうつる人たちの営みとか、誰かの好物であろう食べ物とか、かつてのあの人がいつか見た景色とか、それらを目にし耳にし口に入れ、遠く悠くに思いを馳せる。そうすると、いろんなしがらみとか、ストレスがあるここから、なんだかうまく距離がとれるような気がする。
君。
君は、優しい人。自分の時間を他人のために捧げることができるひと。自分がどう見られるかとか、目的や狙いがある打算的な行動じゃなく、ただ与えることが当たり前のように、しがらみとか、ルールとかの境界を越えることができるひと。愛をもつ人。
君に出会えて本当に良かった。君は私の自慢。もし世界が終わるなら、君の素晴らしさを余すことなく伝えたい。私がいかに救われて、君がどれだけ素晴らしくて、隣で過ごせていかに幸せだったかということを、ちゃんと伝えて終わりたい。どんな風に世界が終わるかは分からないけど、君が終わり、塵となるその場所に、何かがきっと宿るだろう。私の欠片もそこに少し混ざれたらいい。
恋を失うときは、振られたときでも、あなたに彼女ができたときでもなく、あなたへの気持ちを手放すとき。
恋い焦がれる気持ちは、色んなことを支えてくれる。憂鬱なことも憂鬱じゃなくなったりするし、綺麗になろうという取り組みは半ば躁状態のように頑張れるし、なんか謎にいつもより前向きな日々を過ごせたりする。
そして私の世界に新しいものを投下してくれる。あなたの好きな歌、読んでる本、ファッション、話すときや笑うときのくせ。それと、夕暮れや、雨や、夜の景色、あなたの姿越しに見る世界の素晴らしさたるや。一方通行のときめきや苦しみが、わたしにたくさんのことをもたらしてくれる。
そうやって私をひととき、支えて変えてくれたあの人から、わたし自身が通り過ぎようとするとき、恋は失われる。今や私にとっても好きな歌、本、笑い方のくせ。あなたの欠片を抱えながら。