人に優しくするのは、わたしが誰よりも優しくされることを欲しているから。あなたを甘やかすのは、わたしが誰よりも甘やかされることを望んでいるから。
馬鹿にされた、ないがしろにされたと感じるのは、わたしこそが相手を馬鹿にして、ないがしろに思っているからだ。
誰かと一緒に過ごしているようで、わたしの周りにいるのは他者のお面をつけた私だ。自分の価値観や感じ方を投影して、ひとりでに首をしめられている。仕事に、人生に疲れ、消えたい、終わりにしたいとすら思っていた日々のなかで、苦しみの全体を捉えようとしてみれば、壁にみえていたのは鏡だった。ねぇ、知ってはいたけれど、そんなに、わたしのことそんなに嫌いだったの。こんな大がかりなおままごと、終わりにしよう。
ここ最近、休日の過ごし方としてハマっていること。家から徒歩1〜2時間圏内のスポット、公園とか美術館とか神社とかに目星をつけて、そこまで歩いていき、ゆっくり時間をかけて散策や鑑賞などをして、道中の気が向いた飲食店やカフェでご飯を食べる。さらに気が向いたらお土産なぞ買って帰る。できれば9時台には出発して、15時頃、遅くとも16時までには帰宅してたい、そんな計画。
電車で連れてってもらうのもいいけど、自分の足でどこかに行ってみる。そんで、視界にうつる人たちの営みとか、誰かの好物であろう食べ物とか、かつてのあの人がいつか見た景色とか、それらを目にし耳にし口に入れ、遠く悠くに思いを馳せる。そうすると、いろんなしがらみとか、ストレスがあるここから、なんだかうまく距離がとれるような気がする。
君。
君は、優しい人。自分の時間を他人のために捧げることができるひと。自分がどう見られるかとか、目的や狙いがある打算的な行動じゃなく、ただ与えることが当たり前のように、しがらみとか、ルールとかの境界を越えることができるひと。愛をもつ人。
君に出会えて本当に良かった。君は私の自慢。もし世界が終わるなら、君の素晴らしさを余すことなく伝えたい。私がいかに救われて、君がどれだけ素晴らしくて、隣で過ごせていかに幸せだったかということを、ちゃんと伝えて終わりたい。どんな風に世界が終わるかは分からないけど、君が終わり、塵となるその場所に、何かがきっと宿るだろう。私の欠片もそこに少し混ざれたらいい。
恋を失うときは、振られたときでも、あなたに彼女ができたときでもなく、あなたへの気持ちを手放すとき。
恋い焦がれる気持ちは、色んなことを支えてくれる。憂鬱なことも憂鬱じゃなくなったりするし、綺麗になろうという取り組みは半ば躁状態のように頑張れるし、なんか謎にいつもより前向きな日々を過ごせたりする。
そして私の世界に新しいものを投下してくれる。あなたの好きな歌、読んでる本、ファッション、話すときや笑うときのくせ。それと、夕暮れや、雨や、夜の景色、あなたの姿越しに見る世界の素晴らしさたるや。一方通行のときめきや苦しみが、わたしにたくさんのことをもたらしてくれる。
そうやって私をひととき、支えて変えてくれたあの人から、わたし自身が通り過ぎようとするとき、恋は失われる。今や私にとっても好きな歌、本、笑い方のくせ。あなたの欠片を抱えながら。
美容室で髪を整えてきた。今後こんなふうに自分にお金をかけることはそうそうできるものじゃない、となかなかに奮発したメニューだった。おろしたてのコスメを使っておしゃれをし、ご機嫌な気持ちで鏡の前に座った。
居合わせたお客さんはどうやら妊婦さんだった。出産や育児に関する話を楽しそうに美容師さんとしている。嫌だなぁ、いつまでこんなに気持ちが歪むんだろう。手元の雑誌に目を落としながら、綺麗に微笑む女の人たちに、この人はいくつだろうか、結婚は、もう子どもは、なんてことを考えはじめる。時間の経過とともによれるメイクを見て気持ちも沈む。
「風に身をまかせ」。思い出したのは、職場の、7つ年下の後輩から「流されやすい人」と評価されたことだ。誰とも争いたくない、誰の悪口も言いたくなかっただけだった。その実、みんなを薄っぺらく肯定するような浅はかさがあったことは否めない。
仕事で少し達成できたことと肯定的なフィードバック。ちょっとした運動やサウナやカフェでの読書。前向きになれることや好きなことをして、自分を、世界のすべてを肯定できるような気持ちになっても、こういうちょっとしたことで、すぐに真逆な心持ちになる。吹けば飛ぶような自尊心と決意。私という人間の面白み、重量なんて、紙のように軽い。
そう、私はとっても軽い人間だ。だから、また好きなことを目一杯して、自分の機嫌取りをして帰ろうと思う。気持ちが裏返るように。
今日は晴れていたから、今週頭からずっとそうしたいと思っていたこと、観葉植物にたっぷり水をあげて外に出すことができた。元気でいてくれると嬉しくなる。こんなに小さいのに、ぎっしりとした土と根っこのおかげで吹き飛ぶことはない。
ここ数年、避けていたヒールのある靴を最近履いて出かけるようにしていてる。これもきっと、今後そうそうできることじゃないから。バランスをとるために猫背の背すじが伸びるのが嬉しい。髪を切ってますます軽くなった自分で、一歩一歩確実に歩いていく。