「木枯らし」
昔から木枯らしの吹く頃には風邪を引く。毎年の事でもはや恒例行事と化したそれは冬の訪れを告げるものになっていた。しかし、いつからだか季節の変わり目に風邪を引くことはなくなっていて、健康なことに喜ぶ片隅でほんの少しの寂しさを感じた気がした。
「君と一緒に」
いつも通りの朝。楽しくもない仕事に向かう途中、ふと電線に留まる1羽の鳥が気になった。普段だったら気にも留めない、むしろ気が付かないであろう1羽の小さな鳥が気になって仕方がなかった。電線から飛び立ったかと思えば辺りを飛び回り再び近くの電線へ留まる。自由に、そして身軽に飛び回る鳥に微かな憧れを抱いた気がした。一緒に飛び回ることが出来ればどんなに心が軽くなるのだろうとさえ思った。
そんな話を友人にすれば
「それはその鳥に失礼じゃない?どんなに自由に飛んでいるように見えても私たち人間には分からない苦労があるかもしれなくて一生懸命飛んでるのかも知れないよ?」
なんて言われた。まあ、それはその通りだ。私だって本気で自由に飛び回っていると思っている訳じゃない。真面目な回答を求めていたわけではないのだがこれに関してはこの話をした私が悪いのだろう。
ああ、やっぱり君と一緒に飛んでいけたら良かった。
「幸せとは」
幸せという言葉を聞けば最初に"旅行に行く"や"ライブに当たった"など非日常的な大きなものを思い浮かべるが
決してそれだけではない。普段意識することのないたくさんの些細な幸せが身の回りには転がっている。例えば、ふと見上げると雲の白と空の水色の境がはっきりとしていて絵に描いたような綺麗な空だった時。買い物したレシートや時計を見た時に偶然ゾロ目だった時。信号に引っ掛からずに目的地までたどり着けた時。欲しいものがラスト一つだった時。こうした些細な日常に潜む幸せは自分の意識次第でたくさん感じることが出来る。ゆえに、幸せとはもっとも身近な私を豊かにするものなのだと感じる。
「日の出」
真夜中の静けさや暗さに引っ張られるようにどこまでも堕ちていく気分。
負の感情に呑み込まれた私は、もうどうすることも出来ずにこのまま暗闇に引きずり込まれていくのだろうとさえ感じた。もう何もしたくない。もう何も出来ない。そう思っていた。それなのに、ふとほんのり明るくなり始めたのが目に入ると"あぁ、また一日が始まる。頑張らなくては"そう感じて頑張れてしまう。
「新年」
新年を迎えることが特別なことでは無くなってしまったのはいつからだろうか。
小さい時は新年を迎えるという事にとてもワクワクしていた気がする。大晦日にはそばを食べて小言を言われることもなく夜更かしをする。寝て起きればお年玉とおせちが待っていて、その何もかもが特別でキラキラしていて新年を迎えることに少なからず喜びを感じていた。いつからワクワクしなくなったのか、特別でキラキラしなくなったのかはもう覚えていない。今ではもうただ次の日になるだけ。大人になるってそういうことだよと言われればそうなのかもしれない。けれど、そういった些細なことで喜びや幸せを感じられる人でありたい。